来週の金曜、夜7時。予約フォームにその時刻を打ち込むとき、僕らはとんでもないことをしている。まだ存在しない「来週の自分」に向かって、「おまえはこの日、この時間に、腹を空かせて、ここにいろ」と命じているのだ。
考えてみれば、これはずいぶん一方的な約束だ。来週の自分は、まだ何も言っていない。その日、風邪をひいているかもしれないし、急に和食の気分かもしれないし、そもそも人と会いたくない夜かもしれない。それでも僕らは、平気な顔で未来の自分の予定を勝手に決め、テーブルを一つ、押さえてしまう。予約とは、まだ会ったこともない人に送る、返事のもらえない手紙のようなものだ。
しかも僕らは、この一方的な約束を、一日に何度も交わしている。歯医者を予約し、映画の座席を押さえ、旅行の宿を確保し、会議室を二週間先まで埋めていく。手帳やスマホのカレンダーとは、要するに「未来の自分への命令書」がびっしり並んだ一冊なのだ。そして時々、来週の自分はその命令にそむいて、平気ですっぽかす。予約表の上では完璧に段取りされていたはずの未来が、当日になると、生身のわがままな自分によって、あっさり裏切られる。そう考えると、予約という発明は、人類が「未来の自分」をどうにか信じようとして続けてきた、健気であやうい実験のようにも見えてくる。
■ 「3時の電車」に乗るために、人類はまず「3時」を発明した
予約という行為が当たり前に思えるのは、僕らが「未来の時間」を、誰とでも共有できる座標のように扱っているからだ。でも、これは決して昔から当たり前だったわけではない。
19世紀のはじめ、イギリスの町では、時刻は町ごとにバラバラだった。太陽が真南に来た瞬間をその町の「正午」としていたので、ロンドンとブリストルでは時計が10分ほどずれていた。歩いて隣町へ行くくらいなら、それで何の問題もなかった。
ところが、鉄道がやってきた。時速何十キロで町から町へ人を運ぶ乗り物にとって、「町ごとに10分ずれた時刻」は悪夢だった。ある町の時計で「3時発」と言われても、次の町の時計では3時が10分後にやってくる。これでは時刻表が組めない。そこで1840年、グレート・ウェスタン鉄道は「うちの路線は全部ロンドンの時刻に合わせます」と宣言した。いわゆる「鉄道時間」の誕生だ。やがてイギリス中の時計がグリニッジの時刻へと揃えられ、1884年には世界の国々が集まって「地球のどこを基準に時間を数えるか」を話し合い、あの子午線が引かれた。
つまり僕らは、「来週の金曜7時に予約する」ためだけに、まず地球規模で「7時とは何か」を発明しなければならなかった。予約表の一マスの裏側には、太陽と時計と、国境を越えた壮大な待ち合わせの歴史がまるごと畳み込まれている。ハンコやレシートと同じで、いちばん退屈な事務作業ほど、人類の壮大な発明の化石が眠っているのだ。
■ 未来の自分を、いちばんよく知っているのは誰か
さて、鉄道が「みんなで同じ時計を持つ」ことを実現したなら、いま起きているのは、その次の段階だ。AIは、「みんなで同じ未来を、少しだけ先に覗く」ことを可能にしつつある。
配車アプリは、あなたがまだ呼んでもいないのに、金曜の夜にどの通りで人が手を挙げるかを予測して、車をそっと近くに寄せておく。通販サイトは、あなたが「そろそろ切れそう」と気づく前に、洗剤の補充をおすすめしてくる。カレンダーアプリは、空いた時間を見つけて「この日に打ち合わせを入れますか」とささやく。これらはすべて、形を変えた「予約」だ。ただし今度は、未来の自分の希望を予約するのが、自分ではなく機械になりつつある。
これは、少し不思議な逆転だ。かつて予約とは、未来の自分に向けた、返事のこない一方的な手紙だった。ところがAIは、過去の膨大な「あなた」を読み込んで、その手紙に代わりに返事を書こうとする。「たぶん、来週のあなたはこれが欲しいはずですよ」と。まだ会っていないはずの来週の自分のことを、僕ら自身よりも、機械のほうが少しだけ詳しく知っている——そんな時代が、静かに始まっている。
もっとも、これは魔法でも占いでもない。やっていることは、驚くほど地味だ。あなたが去年の同じ季節に何を買い、毎週どの曜日に外食し、どんな時間帯にアプリを開いていたか——そういう無数の「過去のあなた」のクセを数え上げ、その延長線をそっと引いているだけである。天気予報が、過去の空模様の膨大な記録から明日の雨を見積もるのと、やっていることは同じだ。未来を当てているのではなく、あなたという川の流れを読んで、「この先もたぶんこっちへ曲がりますね」と静かに指さしている。予言者ではなく、あなたの習慣のいちばん熱心な読者。それが、いまのAIの正体だ。
■ 「影」——予定表が、すべて先に埋まってしまう夜
もちろん、ここには小さな影もある。機械が僕らの未来を上手に予約してくれるほど、カレンダーには空白がなくなっていく。最適化された一日は、たしかに効率的だ。でも、すべてのマスが先に埋まった手帳には、「なんとなく歩いていたら見つけた店」や「予定を無視して長電話した夜」の入り込む隙間がない。予約が完璧になるほど、僕らは”予定外の幸福”を失うかもしれない。未来を先取りしすぎると、未来が届いたときには、もう新品ではなくなっている。
けれど、僕はここでも楽観している。なぜなら、未来を予測する道具は、そのまま「空白を守る道具」にもなれるからだ。
■ AIがくれる、いちばん贅沢な「空欄」
鉄道時間が僕らから奪ったのは、町ごとのゆったりした時刻だった。けれどその代わりに、遠くの町の友人と「同じ3時」に会えるという、とほうもない贈り物をくれた。道具はいつも、何かを削りながら、それ以上のものを差し出してくる。
AIによる予約も、きっと同じ道をたどる。面倒な段取り、忘れがちな補充、埋めるべき事務のマス目を機械が引き受けてくれたら、そのぶん僕らの手帳には、意図してこそ守れる「空欄」が残る。何の予定も入れない金曜の夜。行き先を決めずに乗る電車。予約という発明が二百年かけて僕らに教えてくれたのは、「未来の自分を大切にする」という気持ちだった。だとすれば、その気持ちの最上級のかたちは、来週の自分のために、あえて何も決めずに、まっさらな夜を一つ、そっと押さえておくことなのかもしれない。
来週の金曜、夜7時。今度は何も予約せずに、その時間を、まだ見ぬ自分への「白紙の招待状」として空けておく。そこにどんな夜が届くのかは、来週の僕だけが知っている。未来を予測できる時代になっても——いや、そんな時代だからこそ、僕らはまだ、自分の未来に驚くことができる。
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