小学校の入学式でもらう筆箱の中に、僕らは当たり前のように「証拠隠滅の道具」を一本しのばせている。消しゴムだ。鉛筆で書いた文字を、こすって、けずって、なかったことにする。世界中の大人が、六歳の子どもに真っ先に教えるのが「間違えたら、消しなさい」というルールだというのは、よく考えるとなかなかにおかしな話だと思う。
ノートはきれいなほど褒められる。答案に赤ペンで大きなバツがつくと、僕らは少しだけ心臓が縮む。消し跡ひとつない答案用紙が「よくできました」で、書いては消した跡がびっしり残った紙は、なんとなく「頭の悪そうなノート」に見えてしまう。そうして十二年、いや大人になってからもずっと、僕らは「間違いとは、できるだけ早く、きれいに、なかったことにすべきもの」だと信じて生きてきた。消しゴムは、机の上にちょこんと座った、世界でいちばん小さな検閲官なのだ。
でも、ここで一つ、ハッとしてほしい。もし間違いが、消すどころか、いちばん大切にとっておくべき「宝物」だとしたら? しかもその真実を、いま僕らにいちばん熱心に教えてくれているのが、人間ではなく機械のほうだとしたら?
■ 昔の人は、パンで文字を消していた
そもそも消しゴムは、そんなに昔からあった道具ではない。ゴムの消しゴムが生まれたのは一七七〇年ごろ。それまで人類は、なんとパンのかけらで鉛筆の文字をこすって消していた。焼きたての食パンの白い部分を丸めて、そっとこする。数千年のあいだ、間違いを消すというのはそれくらい素朴な行為だった。
転機は、イギリスの技術者エドワード・ネアンという人物が、たまたま天然ゴムのかたまりで紙をこすったとき。鉛筆の線がすっと消えることに気づいたと言われている。英語で消しゴムを「ラバー(rubber=こするもの)」と呼ぶのは、この「こすって消す」という動作がそのまま名前になったからだ。ゴムという素材は、もともと南米の木から採れる樹液で、雨を弾くレインコートの材料でもあった。それが海を渡って、人類の「間違いを隠したい」という願いと出会い、小さな四角い形になった。
つまり消しゴムとは、「なかったことにしたい」という僕らの気持ちが、二百五十年かけて磨き上げてきた、とても人間らしい発明品なのだ。誰も悪くない。ただ、僕らはあまりにも長く「消すこと」に慣れすぎて、間違いそのものの価値を忘れてしまっただけなのかもしれない。
面白いのは、この「きれいに消す文化」が広まった時期が、学校というものが世界中に一気に増えた時期とほぼ重なっていることだ。大勢の子どもを同じ教室に集め、同じ問題を解かせ、同じ基準で採点する——そういう仕組みが整うほど、「間違いは減点」「正解は一つ」という考え方が当たり前になっていった。消しゴムは、その時代が求めた「まちがいを見えなくする技術」の、いちばん身近な代表選手だったとも言える。
■ 機械は「間違い」を食べて、賢くなる
ここで、いまのAIの話をしよう。ChatGPTのような賢いAIが、どうやってあれほど賢くなったか。その心臓部にあるのは、驚くほど単純な原理だ。名前を「誤差逆伝播(ごさぎゃくでんぱ)」という。むずかしそうだが、中身は子どもがダーツを覚えるのとまったく同じである。
的をめがけて矢を投げる。右に三センチ外れた。じゃあ次は少し左を狙う。今度は上に外れた。じゃあ少し下へ。この「どれだけ、どっちに外したか」という間違いの情報こそが、次の一投を上達させる唯一の手がかりになる。AIの内部では、数百万回、数十億回とこの「外して、間違いの分だけ修正する」がくり返されている。間違いがゼロだったら、AIは一ミリも賢くならない。機械にとって、間違いは消すものではなく、賢さの栄養そのものなのだ。
自転車の練習を思い出してもいい。誰も一度で乗れるようにはならない。ぐらっと右に倒れかけて、あわてて左に体重をかけて、また逆に倒れて——その「倒れかけた分」を体が覚えていくから、ある日ふっと乗れるようになる。転ばずに自転車を覚えた人は、この世に一人もいない。AIの学習も、原理はこれと寸分たがわない。転ぶこと、外すこと、間違えることが、上達の材料そのものなのだ。
考えてみれば不思議な逆転だ。僕らは子どもに消しゴムを渡して「間違いを消しなさい」と教える。一方で、その僕らが作った最先端の機械は、間違いを一つ残らず抱きしめ、そこからしか学べない仕組みでできている。人類が最も熱心に「なかったこと」にしてきたものを、AIは最も大切な宝物として集めている。僕らは、自分たちの発明品から、間違いの正しい扱い方を、いまさらのように教わっているのかもしれない。
■ 影——「消せる」ことが、僕らを臆病にする
もちろん、光には影もある。消しゴムがくれた「やり直せる」という安心は、ときに僕らを臆病にもした。きれいなノートを保つために、そもそも挑戦しない。バツがつくのが怖くて、書く前から手が止まる。「間違えないこと」が目的になると、人は新しい一歩を踏み出せなくなる。AIが完璧な下書きを一瞬で出してくれる時代には、この「間違いを恐れる心」がかえって重荷になることもあるだろう。
■ 間違いを、消さない未来へ
でも、僕はここに希望を見ている。AIが「正解を出す作業」を引き受けてくれるほど、人間に残される仕事は「面白い間違いをする」ことのほうへ移っていくからだ。世紀の大発見の多くは、じつは実験の失敗や、思い違いや、消し忘れたメモの隅から生まれてきた。細菌を研究していた学者が、休暇から戻ると培養皿に青カビが生えていた。ふつうなら「失敗した、捨てよう」で終わる話だ。けれど彼はその「間違い」をじっと観察し、カビの周りだけ細菌が死んでいることに気づいた。こうして人類初の抗生物質ペニシリンが見つかり、数えきれない命が救われた。間違いを消さずにとっておける人にこそ、機械にも思いつかない飛躍が訪れる。
いつか教室から、あの小さな検閲官が消える日が来るかもしれない。バツはもう「恥」ではなく、「あなたはここまで挑戦した」という勲章になる。ノートに残った消し跡は、成長の地層になる。僕らはようやく、機械が先に気づいていた真実に追いつくのだ——間違いは、消すものではなく、抱きしめるもの。そう思えたとき、未来はきっと、いまよりずっと、やさしい顔をして僕らを待っている。
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