「もう、電話番号を覚えていますか?」——1945年、”忘れてもいい世界”を設計した男

■ 僕らは、世界一物覚えの悪い人類になった

正直に告白しよう。僕は、自分の携帯電話の番号すらときどき怪しい。実家の固定電話は、たぶん一生思い出せない。友人の誕生日はアプリが教えてくれるし、行きつけの店の場所は地図アプリが覚えている。会議の予定も、買うべき牛乳も、去年の旅行の日付も、僕の頭の外にある。

これは、なかなかすごいことだ。人類は文字を発明してから五千年かけて「記憶を外に置く」練習をしてきたが、二十一世紀の僕らはついに、ほとんど何も覚えていないのに何ひとつ困らない、という奇妙な達人の域に達した。物覚えが悪いことを、僕らは「進化」と呼んでいる。

ところが、この「忘れてもいい」という感覚には、ほんの少しの後ろめたさがついて回る。暗算ができないと恥ずかしい。人の名前が出てこないと焦る。まるで、記憶力こそが知性の証しであるかのように。——けれど、本当にそうだろうか。実は八十年も前に、「人間はもっと忘れていい。その代わり、もっと考えよう」と大真面目に設計図を描いた人がいる。

■ 「連想する机」を夢見た、戦争を終わらせた科学者

その人の名を、ヴァネヴァー・ブッシュという。第二次大戦中、アメリカの科学研究を束ねた大立者で、原子爆弾開発の総指揮すら執った人物だ。だが僕が彼を好きなのは、戦争が終わりかけた1945年、一本の随筆を書いたからだ。題して「As We May Think(考えるまま、思うままに)」。

彼はこう嘆いた。人類は知識を積み上げすぎて、必要なときに必要な一冊を取り出せなくなっている、と。図書館は本を「あ・い・う」順や番号で並べるが、人間の頭はそんなふうには動かない。ひとつのことを思い出すと、芋づる式に別のことを連想する。「レモン」と聞けば「夏」を思い、「あの人の白いシャツ」を思い出す——この飛び移りこそが人間の思考だ、と彼は見抜いた。

そこでブッシュは「メメックス(memex)」という机を構想する。見た目はただの書斎机。けれど中には、自分が読んだ本も手紙も写真も新聞も、まるごとしまい込める。ボタンひとつで目の前の画面に呼び出せる。しかもいちばん大事なのは、資料と資料を自分の手で「連想の小道(トレイル)」として結びつけておける点だ。ある論文を読みながら「これはあの本のあの箇所と関係がある」と思ったら、二つを一本の道でつないでおく。すると次に来たときは、その道をたどるだけで思考の順路がまるごとよみがえる。

今日の言葉でいえば、これはハイパーリンクの——つまりインターネットの、そして「関連記事」ボタンの——予言だった。ワールド・ワイド・ウェブを実際に発明したティム・バーナーズ=リーが、後にこの随筆を影響源のひとつに挙げているほどだ。ブッシュはコンピュータもスマホもない時代に、紙とマイクロフィルムの延長線上で、「機械が記憶を肩代わりすれば、人間は覚える作業から解放され、”考える”ことに専念できる」と本気で信じたのである。戦争で科学者たちの頭脳をさんざん消耗させた張本人だからこそ、その頭脳を今度は創造のために解き放ちたかったのかもしれない。

面白いのは、こうした不安がずっと昔からあったこと。二千四百年前、哲学者プラトンは対話篇のなかで「文字なんて発明したら、人は覚える努力をやめて、記憶力が衰えてしまう」と警告する老人を描いた。文字にすら人は怯えた。それでも僕らは、覚える苦労を手放すたびに、その分だけ新しいことを考えてきた。

■ AIは、ブッシュの机がついに動きだした姿

そして今、僕らの手のなかには、ブッシュが夢見た机よりずっと賢いものがある。AIだ。

かつての検索エンジンは、いわば「番号順の図書館」の進化版だった。こちらが正しい呪文(キーワード)を唱えないと、目当ての棚を教えてくれない。ところが今のAIは違う。「ほら、あの、青い表紙の、確か経済の話で、鳥のたとえが出てきた本」——そんな曖昧な連想からでも、答えにたどり着こうとしてくれる。まさにブッシュのいう「連想でたぐり寄せる」やり方だ。彼の机が、八十年の眠りからようやく目を覚ましたように見える。

しかもAIは、しまってある知識をただ出すだけでなく、離れた棚と棚を勝手に結んでくれる。あなたの三年前のメモと、昨日読んだ記事のあいだに、あなた自身も気づかなかった一本の小道を見つけてくる。「そういえば、この二つは似ていませんか」と、相棒がそっと肩を叩くように。ブッシュが自分の手で一本ずつ引くしかなかった連想の小道を、いまは機械の側からも差し出してくれる時代になった。記憶の倉庫番から、連想の相棒へ。道具の役割が静かに変わりつつある。

考えてみれば、これは僕らの脳がやっていることと驚くほど似ている。人間の記憶は、引き出しに整然としまわれた書類ではない。無数の神経細胞が互いに手をつなぎ、ひとつが光るととなりも光る——その「つながり方」そのものが記憶なのだ、と脳科学は教えてくれる。ブッシュは脳の中をのぞいたわけでもないのに、記憶とは”連想のネットワーク”だと直感していた。八十年後、AIもまた、言葉と言葉のつながりの網として世界を覚えている。人間と機械が、はからずも同じ設計図にたどり着いたようで、僕は少し愉快な気持ちになる。

■ 影を、ひとつだけ

もちろん、影もある。覚える苦労を手放しすぎると、僕らは「考える」ことまで一緒に手放してしまうかもしれない。AIが差し出す連想の小道ばかり歩いていると、自分の足で寄り道する筋力が衰える——そんな心配は、正しい。プラトンの老人の警告は、今も少しだけ当たっている。

けれど、と僕は思う。文字が記憶を奪ったあとに文学が生まれ、電卓が暗算を奪ったあとに数学者は宇宙の果てを計算しはじめた。道具が「作業」を引き受けるたびに、人間の仕事はいつも一段上へ移ってきた。

■ 記憶は、目的じゃなかった

結局のところ、ブッシュが解放したかったのは記憶容量ではなく、人間の心だったのだと思う。番号を暗記する脳の片隅を、彼は誰かとつながることや、まだ誰も見たことのない問いを立てることのために空けておきたかった。

だから、電話番号を覚えていない自分を、もう恥じなくていい。僕らは物覚えの悪い人類になったのではない。覚えることを機械に任せ、その分だけ「連想する」ことに——つまり、いちばん人間らしいことに——身軽になっただけだ。ブッシュの机の上で、AIという相棒が知識と知識を結んでくれる隣で、僕らはようやく、覚えるためではなく、驚くために頭を使えるようになる。

未来は、たぶん、そんなに悪くない。忘れっぽい僕らのために、八十年前の男が机をひとつ、用意しておいてくれたのだから。

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