「電池残量」という、僕らが一日に何十回も覗く水晶玉——200年前に”電気を貯めた”男と、AIが”余力”という感覚を返してくれる話

朝、目が覚めていちばん最初に見るのは、恋人の寝顔でも、窓の外の空でもない。スマホの右上、あの小さな数字だ。「78%」。ほっと胸をなでおろす。あるいは「19%」。その瞬間、僕らの一日は、占いの結果を告げられたように色を変える。赤く染まったバッテリーのアイコンひとつで、僕らは予定を切り上げ、カフェのコンセント席を目で探し、初めて訪れた街角で「充電なしであと何分もつか」を、けっこう本気で計算しはじめる。

考えてみれば、これはずいぶん奇妙な儀式だ。僕らは一日に何十回も、手のひらの中の数字を覗き込む。昔の人が、明日を占うために水晶玉を覗き込んだように。ちがうのは、その水晶玉が映すのが「大いなる運命」ではなく、「あと数時間の自分」だということ。いつのまにか電池残量は、僕らの”心の余裕の残量”とそっと入れ替わってしまった。20%を切ると、なぜか自分自身まで心細くなる。あなたにも、覚えがあるはずだ。

■ 「電気を貯める」は、たった200年前に生まれた魔法だった

この不安の正体をたどると、意外なほど新しい発明に行き着く。「電気を貯めておく」という技術は、人類の長い歴史のなかで、ほんの200年ちょっと前に生まれたばかりの、いわば新参者なのだ。

1800年、イタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタが、世界で初めて「安定して流れつづける電気」をつくることに成功した。仕組みは、拍子抜けするほど素朴だ。銅と亜鉛という二種類の金属の板を、塩水を含ませた布をあいだにはさんで、交互にひたすら積み重ねる。ただそれだけ。すると、この金属のミルフィーユの両端から、ちょろちょろと電気が流れ出す。彼の名にちなんで、電圧の単位「ボルト」はここから生まれた。

それまでの電気は、こすった琥珀がパチッと放つ静電気のように、一瞬で消えてしまう気まぐれな存在だった。ボルタは、その気まぐれを初めて”手なずけ”、コップに汲んだ水のように「必要なときまで取っておける」ものに変えた。つまり電池とは、エネルギーを入れておく水筒だ。残量%とは、その水筒に残った水の量を、目盛りで見せてくれているにすぎない。

人類はもともと、貯めるのが得意な生き物だった。秋の実りを蔵にしまい、冬の氷を氷室に眠らせ、干した魚を軒先にぶら下げ、「いざというときのために」と備えることで文明を築いてきた。壺いっぱいの穀物、樽にたたえた水、財布の底の小銭——形は変われど、僕らはずっと「残りがいくつあるか」を数えながら生きてきた。電池は、その気の遠くなるほど長い”貯蓄の歴史”の、いちばん新しい一冊にすぎない。だから僕らが残量%に一喜一憂してしまうのは、飢えや渇きを恐れた祖先の記憶が、ツルツルの画面の上でまだ静かに息づいているからなのかもしれない。数字が減っていくのを見ると胸がざわつくのは、あなたの心が弱いからではなく、それがあまりに人間らしい本能だからだ。

■ AIは、電池を「読む」だけでなく「気づかせない」方向へ進んでいる

では、この最新の水筒を、いまのテクノロジーはどう扱おうとしているのか。

かつての電池残量は、正直あてにならなかった。「50%」と表示されていたのに、寒い日に外へ出た瞬間、いきなり電源が落ちる。あれは電池が嘘をついていたのではなく、僕らが電池の”気持ち”を読み解けていなかったのだ。いま、その通訳役をしているのがAIだ。あなたが毎朝何時に充電器を外し、通勤電車で何分だけ動画を見て、夜どのくらいで眠るのか。その生活のリズムをAIは静かに学習し、「この人は毎朝7時に充電器を外すから、それまでにゆっくり満たせばいい」と判断して、夜のあいだあえて80%で手を止め、起きる直前にそっと100%へ仕上げる。電池というのは、いつも満タンにしておくほど早く老いてしまう、少し気難しい相棒だ。AIはその機嫌を先回りして読み、寿命がなるべく延びるように、見えないところで気をつかってくれている。かつては「勝手に減る不便な箱」でしかなかった電池が、いつのまにか、あなたの一日を見守る小さな執事になっていたわけだ。

そしてもっと大きな景色を見れば、AIは「電気そのものが余る未来」への案内役になりつつある。太陽光や風力でつくった電気は、天気しだいで気まぐれに増えたり減ったりする。この不安定な電気を、いつ・どこに・どれだけ流せばいいのか——町ひとつ分の需要と供給を秒単位で見渡すこのパズルは、人間の手にはあまりに複雑すぎる。ところがAIは、無数の家庭の使い方のクセや、明日の雲の動きまで読み込んで、これを鮮やかに解いてしまう。晴れて電気があり余る昼のうちに大きな蓄電池へ貯めておき、みんなが照明をつける夜にそっと配る。街全体を、ひとつの巨大な水筒として賢く回しはじめているのだ。

これは決して遠い夢物語ではない。かつて水が貴重で、井戸まで汲みに行くのが一日の仕事だった時代を思い出してほしい。いま、蛇口をひねれば水が出ることに、いちいち感激する人はいない。エネルギーもまた、希少で心配のタネだったものから、蛇口の水のように”あって当たり前”のものへと変わっていく。僕らはちょうど、その入り口に立っている。

■ “残量ゼロ”の不安の、その先にある景色

もちろん、影がないわけではない。数字に支配されるほど、僕らはかえって不自由になる。「あと2時間しかもたない」という表示は、まだ何も起きていないのに、先回りして僕らの心を削る。便利な水筒に頼りきるほど、水筒が空になったときの心細さも大きくなる。それは確かにこの発明が抱える、小さな影だ。

けれど、思い出してほしい。200年前まで、人類は「電気を貯める」ことすらできなかった。それでも夜を越え、冬を越え、ここまで歩いてきた。残量%は、僕らの価値を測る目盛りではない。ただ、水筒の水がいまどれくらいか、そっと教えてくれる親切な友人にすぎないのだ。

やがて、電気が水道のようにあたりまえに満ちる時代が来れば、僕らはあの数字を覗き込む回数を、少しずつ忘れていくだろう。20%の赤い警告におびえる代わりに、「もう気にしなくていい」という静かな安心が、日常の底に流れるようになる。そうして手放したまなざしを、僕らはもう一度、恋人の寝顔や、窓の外で白みはじめる空へと戻せるはずだ。

電池残量とは、未来の不足を先取りして怖がる装置ではない。それはむしろ、「まだ、これだけある」と教えてくれる余白の名前だ。あなたの手のひらの中で、今日もひとつの水筒が静かに満ちている。その事実は、思っているよりずっと、あたたかい。

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