風邪をひいたかもしれない、と思ったとき、僕らはまず脇の下に細い棒をはさむ。ピピッと鳴る。液晶に「36.8」と出れば安堵のため息をつき、「37.2」と出れば「あ、熱だ」と眉を曇らせる。たった0.4度の差を、僕らはまるで健康と病気を分ける国境線のように扱っている。会社を休むかどうか、子どもを保育園に預けられるかどうか、その大事な判断を、僕らは小数点以下ひと桁の数字に丸投げしているのだ。考えてみれば、ずいぶん不思議な儀式である。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。その「37度」という基準は、いったい誰が、いつ、どうやって決めたのだろう。あなたの体が「私は37度で異常です」と自己申告したことは、一度でもあっただろうか。実を言うと、この数字を決めたのは、あなたでも、あなたの主治医でもない。150年以上前に生きて、とっくに亡くなった一人のドイツ人医師なのだ。僕らは毎朝、顔も知らない外国人が残したメモを、自分の体の説明書として律儀に読み上げている。
■ 100万回、脇に棒をはさんだ男
その人の名はカール・ウンダーリッヒ。19世紀ドイツ・ライプツィヒの医師である。1868年、彼はとんでもないことをやってのけた。約2万5000人の患者に、なんと100万回以上も体温計をあてて記録したのだ。当時の体温計は、いまのような数秒で鳴る便利な代物ではない。全長30センチ近い、まるで理科室の道具のような巨大なガラス管を、脇に20分もはさんで、じっと目盛りを読む必要があった。想像してみてほしい。毎日毎日、何百人もの脇の下に長い棒を差し込み、ひたすら数字を書き留める日々を。
その気の遠くなる作業の末に、彼は宣言した。「健康な人間の体温は37度である」と。これが、僕らがいまも信じている「平熱37度」という常識の出発点だ。当時としては、膨大なデータに基づいた立派な科学だった。体温という目に見えないものを、初めて数字の地図に描き出した功績は大きい。彼のおかげで、医療は「なんとなく熱っぽい気がする」という曖昧な世界から、「38.5度ある、これは高い」という共通言語の世界へと進歩できた。熱を測るという当たり前の習慣は、この一人の執念から始まったのだ。彼の「37度」はやがて海を越え、世界中の体温計の目盛りに、あの赤い線となって刻み込まれた。ドイツ語で書かれた一冊の医学書の結論が、いつのまにか地球規模の常識になっていったのである。
問題は、その地図が「たった一枚」で、しかも「古いまま」、150年間も世界中で使い回されてきたことにある。
■ 実は、僕らは少しずつ「冷めて」いた
2020年、スタンフォード大学の研究チームが面白いことを突き止めた。ジュリー・パーソネットらが、南北戦争時代の退役軍人の記録から現代の健康診断データまで、実に15万人以上・約68万回分の体温を並べて比べたのだ。すると、驚くべき傾向が見えてきた。人類の平均体温は、ウンダーリッヒの時代からじわじわと下がり続け、いまでは平均およそ36.6度、人によってはもっと低い。100年あまりで、約0.4度も静かに「冷めて」いたのである。
理由はまだ完全には解明されていないが、有力な説はこうだ。昔の人は、結核をはじめ、体のどこかに慢性的な炎症を抱えていることが多かった。体温はいわば、体内でくすぶる小さな火事から立ちのぼる煙のようなもの。上下水道が整い、抗生物質が生まれ、感染症がぐっと減った現代人は、その煙が薄くなった——だから、体の「平熱」そのものも下がった、というわけだ。僕らの体温計は、健康の進歩を映す鏡でもあったことになる。
つまり「37度」は、宇宙の重力定数のように永遠不変の真実ではなかった。それは、結核が身近だった19世紀ドイツの人々の、平均的な一瞬を切り取ったスナップ写真にすぎない。しかも体温は、朝と夕方で1度近くも動くし、年齢や体格、女性なら月経周期によっても、その人の個性によっても変わる。要するに僕らはこの150年、「他人の、しかも昔の、平均」という物差しを借りて、自分の体を測り続けてきたのだ。
■ AIは「みんなの平均」を捨て、「あなた」を思い出す
ここに、静かな革命が起きつつある。腕時計やリング型の端末が、24時間365日、あなたの体温や心拍、睡眠を測り続ける時代が来た。そして、その膨大なデータを読み解くのがAIだ。
これが何を意味するか。AIは「37度が正常」という古びた一枚の地図を捨て、あなただけのために新しい地図を描き始める。あなたの本当の平熱が36.2度なのか、それが一日のなかで、あるいは生理周期や睡眠の質でどう揺れるのか。それを何万回もの計測から静かに学習し、「あなたにとっての37.0度は、平均的には平熱でも、実はあなたの体が出しているささやかな警告かもしれない」と教えてくれる。逆に、もともと高めが平熱の人には、無用な心配をさせずに済む。基準が「顔も知らないみんな」から「ほかならぬあなた」へと、そっと戻ってくるのだ。
もちろん、影もある。四六時中データに見張られ、わずかな数字の揺れに一喜一憂して、かえって不安を募らせてしまう人もいるだろう。健康であるはずの自分を、絶えず「どこか異常はないか」と疑い続ける暮らしは、それはそれで窮屈だ。便利さが新しい強迫観念にすり替わらないよう、僕らはこの道具との付き合い方を、これから学んでいく必要がある。
それでも、と僕は思う。ウンダーリッヒが2万5000人を「37度」という一つの数字に丸めなければならなかったのは、それが当時できる精一杯だったからだ。一人ひとりを別々に見つめ続ける余裕なんて、100万回の手作業のなかには一滴も残されていなかった。でも、いまは違う。テクノロジーはようやく、僕らを「平均的な誰か」ではなく「かけがえのない、たった一人」として測れるところまでたどり着いた。
次に体温計がピピッと鳴ったら、その数字におびえる前に、ほんの少しだけ誇らしく思ってほしい。150年をかけて、僕らは「標準」という名の、顔も知らない他人の影からようやく抜け出し、自分自身の物差しを取り戻そうとしている。未来の健康とは、正しい平均に近づくことではない。あなたが、まぎれもなくあなたであることを、体のほうから静かに肯定してもらえること。その温かな一歩は、もう、あなたの手首の上で、そっと始まっている。
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