■ 部長の「👍」が、実は人類史のクライマックスだった
会社の連絡はもう文章ではない。上司に長文の報告を送ると、返ってくるのは「👍」の一文字だ。感謝の気持ちは「🙏」、了解は「🆗」、飲み会の誘いは「🍺」。最初、僕はこれを言葉の手抜き、いや文化の退化だと思っていた。せっかく人類は複雑な感情を言葉で綴る力を手にしたのに、僕らはまた幼稚園児の落書きみたいな小さな絵に戻ろうとしている――と。
ところが、ある事実を知ってから、その「👍」がまったく違って見えるようになった。僕らは退化しているのではない。むしろ、5000年の壮大な回り道を経て、人類が最初に選んだ表現へ、ぐるりと帰ってきているのだ。部長の親指マークは、手抜きどころか、文字の歴史のクライマックスなのかもしれない。しかもそのクライマックスの舞台裏では、いままさにAIが静かに主役を演じ始めている。この視点の転換を、少し寄り道しながら書いてみたい。
■ 「A」の正体は、横倒しになった牛の頭だった
文字の始まりは「絵」だった。古代エジプトのヒエログリフを思い浮かべてほしい。鳥は鳥の絵、水は波の線、家は家の形。見たものをそのまま描く、いわば世界最古の絵文字である。ところがこの方式には弱点があった。絵は描くのが大変で、覚えるべき記号が何百何千とあり、一部の専門家しか読み書きできなかったのだ。
そこで人類は、とんでもない発明をする。「絵で意味を表す」のをやめて、「絵で音を表す」ことにしたのだ。たとえば古代の人々は、牛を表す絵を「牛(アレフ)」という物ではなく、その頭文字の「ア」という音の記号として使い始めた。牛の頭を描いた記号は、やがて横倒しになり、角を上にして簡略化され――そう、いまの「A」になった。アルファベットの「A」は、もとをたどれば牛の顔なのだ。高校の教科書には載っていないけれど、これは言語学ではよく知られた話で、フェニキア人が広めたこの「音を表す文字」こそ、僕らのアルファベットの祖先である。
この発明の何がすごいのか。たった20〜30個の記号を組み合わせるだけで、あらゆる言葉を書けるようになった。覚える量は激減し、読み書きは一部の神官の独占物から、庶民のものへと解き放たれた。人類は「絵」を捨て、「音の記号」を取ることで、知識を万人に開いたのだ。これは文明史上、最大級のダウンサイジングだった。
わかりやすく言えば、こういうことだ。何千枚もの絵カードを丸暗記しないと手紙が書けなかった世界から、たった数十個のブロックを積み替えるだけで何でも表現できる世界へ、人類は一気に引っ越した。ちょうど、膨大な種類の専用道具を並べる代わりに、ネジ一本で組み立てられる家具を発明したようなものだ。表現の「部品点数」を思い切って減らしたからこそ、文字は世界中に広まり、やがて印刷され、いまの本や新聞やスマホの画面にまでつながっている。
■ そして僕らは、絵文字という「世界共通語」を再発明した
ここで冒頭の「👍」に戻ろう。5000年かけて絵を捨て、音の記号を手に入れた人類が、スマホの画面の上で、また一斉に絵を描きはじめている。これは単なる先祖返りだろうか。僕はそうは思わない。今度の「絵」は、前とは決定的に違う武器を持っている。
絵文字のいちばんの強みは、音を飛び越えることだ。「ありがとう」「Thank you」「谢谢」――音の記号は言語ごとにバラバラだが、「🙏」は世界中どこでも通じる。日本人が送った「🍣」を、ブラジルの人がそのまま「🍣」として受け取れる。かつて音を表すことで一つの言語の中を効率化した文字が、いまや絵に戻ることで、言語と言語の壁そのものを跳び越えようとしている。ヒエログリフは一部の神官しか読めなかったが、絵文字は地球上の誰もが読める。同じ「絵の文字」でも、到達した場所はまるで逆なのだ。
そしてここにAIが加わると、風景は一変する。最新のAIは、文章も画像も絵文字も、区切りなく同じ「意味のかたまり」として理解する。人間が「疲れた😮💨」と打てば、その絵文字に滲むニュアンスまで含めて汲み取り、翻訳し、返してくれる。絵文字はもはや飾りではなく、機械と人間が共有できる、感情の乗った最小の言語単位になりつつある。5000年前に牛の頭を「ア」と読み替えた人類の跳躍を、いまAIは、絵と言葉のあいだで軽々とやってのけている。
考えてみれば、これはとても不思議なことだ。かつて絵から音の記号へ移ったとき、人類は「意味」と「音」を切り離す作業に何百年もかけた。ところがAIは、その両方を、さらに画像やスタンプまでを、まとめて一つの地図の上に置いてしまう。「🍜」という記号と「ラーメン」という日本語と「noodles」という英語が、AIの中では隣り合った近い点として扱われる。人間が長い歴史をかけてバラバラに枝分かれさせてきた表現たちが、AIという新しい大陸の上で、もう一度そっと再会しているようにも見える。絵で語ることと言葉で語ることの境目が、静かに溶けはじめているのだ。
■ 影を認めつつ、それでも「バベルの塔」の続きを
もちろん影もある。絵文字の意味は、それを定める国際的な団体の会議で決まり、どの絵を追加するかには文化の偏りが入り込む。便利なスタンプに頼りすぎて、言葉で丁寧に説明する筋力が細っていく心配もある。「👍」一つで済ませることが、時に相手の心の機微を取りこぼしてしまうこともあるだろう。それは確かに、心に留めておくべき小さな影だ。
けれど、僕はやっぱり希望のほうに賭けたい。旧約聖書には、人々が同じ言葉を話していた時代に天まで届く塔を築こうとし、神が言葉をバラバラにして混乱させた「バベルの塔」の物語がある。以来、人類はずっと、言葉の壁の向こう側の誰かと分かり合いたいと願い続けてきた。絵文字とAIは、その古い夢の、思いがけない続きなのかもしれない。音を捨てて絵に帰る道は、後戻りではなく、一周まわって、もう一度みんなで同じ記号を分かち合える場所への近道だったのだ。
部長の「👍」を、もう手抜きだとは笑えない。あの小さな親指の中には、牛の頭を「ア」と読み替えた古代人の発明と、言葉の壁を越えたいという人類5000年の願いが、こっそり畳み込まれている。次に誰かから絵文字が届いたら、少しだけ壮大な気持ちで受け取ってみてほしい。僕らはいま、絵と言葉が溶け合う新しい言語の、最初の一行を書いているのだから。ここは、未来が現実になる場所だ。
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