空港の出国ゲートで、僕らは小さな冊子を差し出す。青かったり、赤かったり、緑だったりするあの手帳だ。同じ人間で、同じDNAで、昨日と何ひとつ変わっていないのに、その冊子の表紙の色ひとつで、片方は数秒で通され、片方は別室で三時間待たされる。僕らはそれを、まるで天気みたいに「そういうものだ」と受け入れている。けれど一歩下がって眺めると、これはかなり奇妙な儀式だ。誰も選んで生まれてきたわけじゃない惑星の上で、生まれた場所のクジ引きの結果を証明する冊子が、あなたの身体がどこに立ってよいかを決めている。しかもこの冊子、実はまだ生まれて百年ちょっとの、わりと新しい発明品なのだ。当たり前の顔をしているものほど、たいてい歴史は浅い。
■ 「国境」は、みんなで信じることにした線
意外に思うかもしれないが、二十世紀の初めまで、僕らはパスポートなしでかなり自由に国境を越えていた。パスポートという言葉自体、もとは「港(port)を通り抜ける(pass)ための紙」に由来し、中世には王が旅人に持たせた「この者を通してやってくれ」という手紙にすぎなかった。それが今のような「全人類が携帯する身分証」として世界標準になったのは、第一次世界大戦の混乱を経た一九二〇年、国際連盟がパリで開いた会議でフォーマットを統一してからだ。たった百年前、人類は「これからは全員この手帳を持とうね」と取り決めた。戦争がもたらした一時的な管理策のはずが、気づけば空気のように当たり前の制度になっていた。
そもそも国境そのものが、発明品だ。近代的な「主権国家」という考え方は、一六四八年のウェストファリア条約あたりで形になったとされる。地図の上に引かれた線——山や川と違って、現地に立っても本当は何も引かれていないあの線を、僕らは「ここからは別の国」と信じることにした。世界という一枚の塗り絵の輪郭線を、全員ではみ出さないと約束したようなものだ。
これは嘘や幻ではなく、むしろ「便利な魔法」に近い。一万円札がただの紙きれなのに、みんなが価値を信じるから経済が回るのと同じで、国境という共同の物語があるからこそ、顔も知らない何百万人もの他人が、ひとつのルールの下で協力できる。人類は、目に見えない線を信じ合う力で、家族より大きな、村より大きな、途方もなく巨大な社会を組み立ててきた。線は、分断の道具であると同時に、見知らぬ他人と手をつなぐための発明でもあったのだ。
ただ、この魔法には少しばかり意地悪なところもある。同じ塗り絵の、たまたまどちら側のマスに生まれ落ちたかで、受けられる教育も、平均寿命も、稼げる額も、驚くほど変わってしまう。本人の努力とも才能とも関係のない、ただのクジ引きが、人生の初期設定を大きく左右する。便利な魔法は、同時に、生まれた瞬間に配られる不公平なカードでもある。だからこそ、この線をどう扱うかは、ずっと政治の中心的な問いであり続けてきた。
■ データには国境がない、という新しい現実
ところが、ここに来て話がややこしくなる。僕らが引いた線を、僕ら自身が作った技術が平気で無視し始めたからだ。インターネットの上を流れるデータは、税関で止まらない。今あなたに話しかけているようなAIは、特定の国の言葉だけでなく、地球じゅうのテキストを浴びて育っている。知能に、母国はない。しかも翻訳AIは、かつて国と国とを隔てていた「言葉の壁」さえ、スマホの画面の中で静かに溶かし始めている。
象徴的なのがエストニアの「電子居住権(e-Residency)」だ。一度もその国の土を踏んだことがなくても、オンラインで「デジタル国民」として登録し、会社を作って世界と取引できる。生まれた場所ではなく、選んだ場所に属する——そんな新しい身の置き方が、もう現実に始まっている。
考えてみれば、今この瞬間にも、ナイロビの学生も、ソウルの会社員も、リマの主婦も、同じひとつのAIに向かって、それぞれの母語で相談を持ちかけている。パスポートの色を一度も尋ねられないまま、地球じゅうの人が同じ知恵の泉を囲んでいる。これは人類史上、たぶん初めて登場した「国境を最初から持たない公共施設」だ。線の外側で人がつながる回路が、静かに、しかし確実に太くなっている。
一方で、国家の側も黙ってはいない。最近よく聞く「主権的AI(ソブリンAI)」という言葉は、自国の言語や法律、文化を映したAIを、他国任せにせず自分たちの手で持とう、という動きだ。バイト(情報)は国境を軽々と越えるのに、その力の源泉だけは自国に囲い込みたい。溶けていく線と、引き直そうとする手。ここに、今の政治のいちばん熱い綱引きがある。
■ 影として——壁は、石ではなくコードで建つ
もちろん、明るい話ばかりではない。線が溶けるのと同じ勢いで、新しい壁がコードで建てられる危うさもある。国ごとに分断された「スプリンターネット」、あなたの一挙一動を採点する監視の網、アルゴリズムがこっそり発行する見えないパスポート。技術は、境界を溶かす溶剤にも、境界を固めるセメントにもなりうる。この影から目をそらすつもりはない。ただ、それを物語の行き先にするつもりも、僕にはない。壁を建てられる同じ手は、扉を開けることもできるからだ。
■ 生まれた場所のクジを、選び直せる未来へ
思い出してほしい。パスポートは、たった百年前に「発明」されたものだった。人が発明したものは、人が作り直せる。国境という共同の物語を、僕らはこれから、もっと優しい版へと書き換えていけるはずだ。
それはきっと、世界を一色に塗りつぶすことではない。それぞれの土地の言葉や文化という「多様な塗り分け」は、主権的AIのようにむしろ大切に守りながら、生まれた場所という偶然だけが人の可能性を縛る、その一点をそっとほどいていく。属する場所を、授かるものから、選び育てるものへ。テクノロジーは、その気の遠くなるような書き換え作業を、隣で手伝ってくれる相棒になれる。
いつか、ずっと先の子どもが、引き出しの奥から色あせた古いパスポートを見つけて、こう尋ねる日が来るかもしれない。「昔の人は、どこかへ行くのに、冊子の許可がいったの?」——僕らが今、「昔は本を読むのに、身分の許可がいったの?」と驚くのと同じ、きょとんとした顔で。その素朴な問いこそ、線を書き換え終えた未来から届く、いちばん静かで、いちばん確かな便りなのだと、僕は思う。
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