毎年、予算の季節になるとメディアは「過去最大の一般会計、百二十二兆円」と大々的に報じる。しかし、この数字は政府が動かすマネーフローの、わずか三分の一に過ぎない。報道が黙殺し、官僚機構が国民の目から隠し続けるブラックボックスこそが、重複を除いた純額でも約二百十六兆円、総額では四百四十兆円を超える「特別会計」の巨大な姿である。
かつて国会で「母屋でおかゆをすすっているときに、離れでは子どもがすき焼きを食っている」と揶揄されたように、国民が税負担に喘ぎ一般会計が赤字に苦しむ一方で、役所が独自に抱え込む「離れのサイフ」には、莫大な資金が温存され、官僚の天下り先や既得権益の維持に使われ続けている。例えば、円安の進行によって外国為替資金特別会計には米国債などの資産運用益が積み上がり、年間で実に三兆四千億円を超える純利益を叩き出している。それにもかかわらず、この「埋蔵金」が一般会計の少子化対策や成長投資へ機動的に回されることはない。財布が別という官僚ルールで守られているからである。私たちはこの不条理な十四の特別会計をすべて解体し、国の財布を「一般会計」と、生存保障に特化した「社会保障会計」の二つだけに再編すべきである。
この改革によって、政府が隠してきた「国債の自転車操業」も白日の下に晒される。一般会計からは見えないが、裏の財布では、過去の借金を返すためだけに毎年約百三十六兆円もの国債が発行され、市場で転がされ続けている。金利がある世界に突入した今、長期金利がわずか一パーセント上昇するだけで、この転がしコストは毎年兆円単位で跳ね上がり、国の財政を直撃する。これほど致命的な財政リスクが別財布で処理されているために、国民にはその深刻さが伝わらない。借金の転がしプロセスをすべて一般会計に統合し、実際に支払っている純利払い負担と債務をガラス張りに開示することこそが、世界水準のまっとうな国家の姿である。
国家の財布を「未来投資と統治」の新・一般会計(約二百二十兆円)と、「国民の安心」を担保する社会保障会計(約九十五兆円)の二つに完全集約すれば、財政は完全にスケルトン化する。社会保障という巨大な霧を横にどけた途端、一般の財布の半分以上が過去の借金処理に追われているという凄まじい歪みがクリアになり、防衛費や教育への投資がいかにタイトな隙間でやりくりされているかが一目瞭然になる。
そして、この再編から生まれる最大のイノベーションが、社会保障の現金給付をすべて解体し、成人一人あたりに月額約八万円(年間約百万円)を無条件で支給する「ベーシックインカム(UBI)」の導入である。
少子高齢化が進む日本において、十八歳以上の有権者数は約一億三百五十万人である。現在、医療や介護などの現物サービスに回る予算は社会保障会計のなかに別枠で手厚く維持したまま、年金、生活保護の生活扶助、児童手当といった役所の査定を伴う複雑不透明な現金配分予算をすべて廃止して一本化すれば、追加増税なしで有権者全員に月八万円を分配するシステムが完成する。
これは単なる夢物語ではない。現行の年金現金給付分五十六兆円、生活保護や失業保険等の十五兆円を統合し、さらに金持ちほど減税効果が大きい不公平な所得税の「人的控除」を全廃して一律還元のUBIに置き換えることで、財源は数学的な整合性をもって完全に成立する。マイナンバーを用いた全自動給付に移行すれば、生活保護の水際作戦や、複雑な申請手続きのために肥大化した役所の審査・決定権、すなわち官僚の生殺与奪の権力と天下り組織を丸ごと駆逐できる。
私たちはこれまで、国家予算は難解で官僚にしか理解できないものだと思い込まされてきた。しかし、その複雑さこそが、自らの裁量権と特権を守るための煙幕だった。複雑さを武器にしてきたエリートから財政の主権を奪還し、一目で危機と希望がわかるシンプルなシステムへ。この断行こそが、日本に本物の財政民主主義を取り戻す唯一の道である。

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