「人は信用できない時代だ」と、僕らはよく言う。
ニュースを開けば詐欺、SNSを開けば炎上。知らない番号の電話には出ないし、知らない差出人のメッセージはまず疑ってかかる。デジタルの世界は、まるで「全員が容疑者」であることを前提に設計されているかのようだ。
ところが、だ。
その同じ僕らが、駅のホームで財布を落とす。気づいて青ざめる。そして——数時間後、交番からの連絡で、中身がそっくりそのまま返ってくる。拾ったのは、名前も顔も知らない、たぶん二度と会わない誰か。
考えてみれば、これは奇妙な光景だ。あれほど「人は信用できない」とぼやいている社会が、実のところ、見ず知らずの他人同士で、毎日とてつもない量の「信用」をやりとりしている。落とし物とは、顔も名前も知らない誰かと、無言で交わしている小さな約束の束なのだ。
■ 17,000個の財布を、わざと落とした人たち
ここで、ちょっと変わった科学の話をしよう。
2019年、ある研究チームが世界40か国・355の都市で、とんでもない実験をした。なんと約17,000個の財布を「わざと」落として回ったのだ。正確には、「これ、落ちていましたよ」と銀行やホテル、郵便局の受付に届け、受け取った職員が持ち主に連絡してくるかどうかを、ひたすら数えた。研究結果は、科学誌『サイエンス』に発表されている。
財布の中身には仕掛けがあった。あるものには現金が入っておらず、あるものには少額のお金が入れてある。さて、どちらの財布のほうが、持ち主に連絡が来たと思うだろうか。
常識で考えれば、答えは明らかに思える。お金が入っていないほうだ。だって、お金が入っていたら、つい自分のものにしたくなるのが人情じゃないか——経済学者たちも、ほとんどの一般の人も、そう予想した。
結果は、みごとに裏切られた。
お金が入っている財布のほうが、返ってくる確率が高かったのだ。しかも研究チームは、いじわるにも一部の国で、中身をぐっと増やした”大金入り”の財布まで落としてみた。すると返却率は、さらにもう一段上がった。お金が多いほど、財布は持ち主の手に戻ってきたのである。
国によって数字の高い低いはあった。けれど「お金が多いほうが返ってくる」という傾向そのものは、文化も宗教も経済水準もまるでちがう国々で、驚くほど共通して現れた。つまりこれは、日本人が特別に律儀だとか、どこかの国民性だとか、そういう話ではない。もっと深いところにある、人間という生き物の”クセ”のような何かが、顔を出していたのだ。
■ 僕らは「泥棒になった自分」を見たくない
なぜ、こんな不思議なことが起きるのか。
研究者たちの答えは、とてもシンプルで、そして少し胸をうつものだった。人は、お金が惜しいかどうかよりも、「自分を泥棒だと思いたくない」という気持ちのほうを、ずっと強く持っている。そして財布の中のお金が多ければ多いほど、それを自分のものにした瞬間の「自分、最低だな」という痛みも大きくなる。だから、金額が大きいほど、人はかえって正直でいようとする。
これは、特別に心の清らかな聖人の話ではない。ごく普通の、僕やあなたのような人間の話だ。僕らは、思っているよりずっと「ちゃんとした自分」でいたい生き物らしい。
たとえば、レジで多くおつりを渡されたとき。10円ならそのまま財布にしまってしまう人も、1万円まちがって多かったら、たいていは「あの、多いですよ」と声をかける。得する金額が大きいほど正直になる、というのは、理屈だけ見れば逆さまだ。でも僕らの心の中では、「1万円くすねた自分」を抱えて生きるコストのほうが、1万円そのものより、ずっと高くついてしまう。財布の実験は、この日常の小さな感覚が、世界中で同じように働いていることを、数字で見せてくれたのだ。
日本では、毎年、数十億円という規模の現金が落とし物として警察に届けられ、その多くが持ち主のもとへ返っていく。子どもが交番に10円玉を届けにいく、あの微笑ましい光景も、実は同じ仕組みの上に立っている。誰も法律の条文なんて確認していない。ただ、「落ちていたから、届ける」。それだけのことを、何百万人もの人が、誰にも褒められないまま、静かに続けている。
■ 「信用」を、わざわざ機械で作り直す時代
さて、AIとテクノロジーの話だ。
いま、世界中のエンジニアが、ものすごいお金と頭脳を注ぎ込んで、ある難問に取り組んでいる。「見知らぬ相手を、どうやって信用するか」という問題だ。
ネット通販の星の数ほどのレビュー、フリマアプリの評価点、ブロックチェーンという”改ざんできない帳簿”、AIによる本人確認や不正検知——これらはすべて、「顔の見えない相手と、安心して取引する」ための、巨大な信用製造マシンだと言っていい。
ここで、僕は少しおかしくなってしまう。
だって、交番に財布を届ける人は、レビューも評価点も、一円の報酬ももらわない。それでも、信用はちゃんとそこに在る。人類は、スマホもインターネットもない時代から、「落ちていたら、届ける」という、世界でいちばん古くてシンプルな”信用のプロトコル”を、とっくに走らせ続けていたのだ。僕らはいま、その同じものを、何十億円もかけて機械で作り直しているにすぎないのかもしれない。
ただ、機械にしかできないこともある。あの財布が返ってくるのは、拾った人と持ち主が、同じ街の、手の届く距離にいるからだ。相手が海の向こうの、言葉も通じない誰かだったら、善意はあっても届ける手段がない。AIがいま得意としているのは、まさにその”距離”を縮めることだ。顔の見えない相手の正直さを見つけ出し、拾った善意と、落とした困りごとを、世界のどこからでもそっとつなぎ直す。人の正直さが「宛先不明」で戻ってこないまま終わる、あの切なさを、減らしてくれるかもしれない。
■ 影を一つだけ、そのうえで
もちろん、影がないわけではない。信用を点数にして可視化しすぎると、やがて「点数の低い人」を社会からそっと締め出す仕組みに変わりかねない。どこかの国の社会信用スコアのように、監視と評価が人を縛る道具になってしまう危うさは、正直に見ておくべきだろう。
それでも、僕は未来のほうを信じたい。
テクノロジーは、人間の信用を置きかえるものではなく、増幅するものになれるはずだ。あの財布の実験が教えてくれたのは、「人間は、誰にも見られていなくても、意外と正直だ」という静かな事実だった。AIは、その正直さが報われる範囲を、国境を越えて、言葉の壁を越えて、もっと遠くまで広げてくれるかもしれない。これまで泣き寝入りするしかなかった小さな善意が、ちゃんと相手に届く世界。
今日もどこかで、誰かが財布を拾って、少しだけ迷って、交番への道を選んでいる。その後ろ姿は、人類がずっと前に完成させていた希望の、いちばん身近な証拠だ。
明日、もしあなたが何かを落としても、きっと大丈夫。顔も知らない誰かが、あなたの知らないところで、そっと約束を守ってくれているのだから。
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