「握手」という、”丸腰です”の合図——3000年前から、僕らは手を差し出して信じ合ってきた

初対面の相手と、僕らはためらいもなく手を握る。汗ばんでいるかもしれない、さっき何を触ったかもわからない、赤の他人の右手を、だ。しかもそれを「礼儀」と呼び、しなければ「失礼な人だ」と眉をひそめられる。冷静に考えると、これはなかなか奇妙な習慣ではないだろうか。なぜ人類は、見ず知らずの誰かの手を握ることを、こんなにも大切にしてきたのか。実はその答えは、優しさよりもむしろ「疑い」の側にある。

■ その手は、もともと「武器を持っていません」という宣言だった

握手の起源については諸説あるが、よく語られるのは「丸腰の証明」という説だ。右手は、多くの人にとって剣を抜く手である。その右手を、何も握らずに差し出す。相手にもそうさせる。だから握手は、原則として右手同士でするのが世界共通のマナーになっている。上下に振るのは、袖に隠した短剣がないことを、揺すって確かめ合うためだった、という言い伝えもある。つまり握手とは本来、「僕はあなたを殺せる立場にあるけれど、いまはそうしないと約束する」という、静かで物騒な宣言だったのだ。手をつなぐのではなく、あえて武器を持つ手を空にして見せ合う——そう考えると、あの何気ない仕草の裏側が、少し違って見えてこないだろうか。

これは想像上の話ではない。今から約2900年前、古代メソポタミアのアッシリアという国の王シャルマネセル3世が、隣国バビロニアの王と手を握り合う姿が、石の彫刻として残されている。歴史の教科書に載る「最古の握手」のひとつだ。国と国が戦争ではなく手を結ぶ——その決定的な瞬間を、人類は握られた二つの手で表現した。握手は、剣を持つ手を、あえて空っぽにして差し出す身振りとして始まった。

■ 疑いから生まれた作法が、いちばん親しい挨拶になった皮肉

ここに、人間という生き物のおもしろさが詰まっている。「あなたを疑っている」から生まれたはずの動作が、数千年を経て「あなたを歓迎します」の合図に化けたのだ。僕らは今、恋人の親に挨拶するときも、内定をもらった会社で頭を下げるときも、この「元・警戒信号」を使っている。

考えてみれば、人類はいつもこの手を使ってきた。休戦協定でも、商談の成立でも、和解の席でも、オリンピックの表彰台でも、最後に交わされるのは握手だ。国のトップ同士がカメラの前でわざわざ手を握ってみせるのも、遠い祖先が石に刻んだあの身振りと、驚くほど変わっていない。言葉は嘘をつけるし、契約書は破られる。けれど「手を握る」という身体的な接触には、理屈を超えた説得力がある。相手の体温を感じ、力の入れ具合を確かめる——その一瞬に、僕らは「この人は信じられるか」という何万年分もの直感を働かせている。強く握りすぎれば威圧に、弱すぎれば頼りなく映る。たった数秒の接触に、これほど多くの意味を読み取ってしまうあたり、人間はつくづく信頼という問題に真剣な生き物なのだと思う。疑いを晴らすための道具が、いつのまにか信頼を確かめるための道具になった。これは退化ではなく、人類が「敵か味方か」の緊張を、少しずつ「よろしく」の温かさへと育て直してきた証しなのだと思う。

■ コンピュータも、1秒間に何万回と握手している

そして驚くことに、この3000年の身振りは、いまも最先端の技術の中で生き続けている。あなたがスマホでこの記事を開いた、まさにその瞬間にも、だ。

ウェブサイトを見るとき、あなたの端末と相手のサーバーは、通信を始める前に必ず「ハンドシェイク(handshake=握手)」を行う。これは英語圏の技術者がつけた、まさにそのままの名前だ。中身を思いきり簡単に言えば、こんな会話をしている。「もしもし、聞こえますか?」「聞こえますよ、そちらは?」「はい、聞こえています」。なぜわざわざ三往復もするのかというと、電話をかけて「もしもし」と言ったきり相手の返事を待たずに話し始めても会話が成り立たないのと同じで、お互いが確かに存在し、ちゃんと聞く準備ができていることを、両方が確認するためだ。片方だけが「準備できた」と思い込んでいては、伝えた言葉が宙に消えてしまう。

さらにその後、二台は「これから二人だけの秘密の言葉で話しましょうね」と、暗号の鍵を交換し合う。途中で誰かに盗み聞きされても中身が読まれないように、だ。しかも「そもそも、いま話している相手は本物のサーバーなのか、なりすましではないか」を、第三者が発行した身分証明書(電子証明書)で確かめる仕組みまで、ちゃんと組み込まれている。丸腰であることを示し、相手が信じられるかを確かめ、そのうえで打ち解ける——順番までが、あの人間の握手とそっくりなのだ。

顔も見えず、手も触れられない機械同士が、人類の最も古い「信じ合う作法」を、律儀に再現しているのだ。かつては一本の腕が届く範囲でしか結べなかった信頼を、今では光の速さで、地球の裏側の相手とも、1秒間に数え切れないほど結んでいる。握手は、消えたのではない。姿を変えて、僕らの想像もつかない規模へと広がっていた。

■ 手を差し出すことを、僕らはやめない

もちろん、影がないわけではない。AIが本物そっくりの声や顔を生成できるようになり、「目の前の相手を信じていいのか」という問いは、かつてなく難しくなった。数年前の感染症は、握手そのものを一度、僕らから遠ざけもした。信頼のかたちは、いま大きく揺らいでいる。

けれど、歴史はいつも同じことを教えてくれる。信頼を確かめる方法が古くなれば、人類はより確かな新しい方法を発明してきた、と。剣を隠せる手のかわりに、僕らは偽れない暗号の握手を手に入れつつある。顔や声だけに頼らず、「本当にこの相手を信じていいのか」を確かめる技術は、これからもっと賢く、もっと安全になっていくだろう。

思えば握手とは、人類が最初に発明した「信頼のプロトコル(手順)」だった。剣を置き、手を空にして、相手に一歩近づく。そのシンプルな手順を、僕らは石に刻み、条約に使い、いまは機械にまで受け継がせている。3000年前、二人の王が剣を置いて手を握ったあの瞬間から、僕らはずっと「敵ではなく、味方でありたい」と願い続けてきた。その願いだけは、どんなに技術が進んでも、まだ誰にも自動化できていない。次に誰かへ手を差し出すとき、あなたは3000年分の「信じ合いたい」を、その手のひらに握っている。未来は、その差し出された手の先に、きっとある。

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