「機械オンチで、すみません」——僕らはなぜ機械に謝るのか。その一言を70年前に葬ろうとした女性の話

■ 僕らは、いつから機械に謝るようになったのか

コンビニのセルフレジの前で、僕はよく謝っている。バーコードがうまく読めなくて、店員さんを呼んでしまったとき。「すみません、機械オンチで」。よく考えると、これはとても奇妙な光景だ。読み取れなかったのは機械のセンサーで、僕の指ではない。にもかかわらず、謝るのはいつも人間のほうなのだ。

スマホの新しい設定画面、役所のオンライン申請、会社で導入されたばかりのツール。僕らは「うまく使えない自分」を、まるで生まれつきの欠点みたいに扱う。「私、そういうの苦手で」。それはもう、字が下手だとか方向音痴だとかと同じ、ちょっとした人格の一部みたいに語られる。飲み会でも「うちの親、スマホ全然ダメでさ」なんて笑い話になる。まるで、機械と仲良くなれないことが、その人の側の落ち度であるかのように。

でも、ほんとうにそうだろうか。使いにくいボタンを設計したのは人間だ。分かりにくい言葉でエラーを出すのも機械のほうだ。なのに、なぜか僕らのほうが小さくなって「ごめんなさい」と言う。飲食店で料理が遅ければ店に催促するのに、機械が相手だと、僕らはなぜか自分を責める側に回ってしまう。この不思議な立場の逆転を、70年以上も前に「そっちがおかしい」と言い切った人がいる。アメリカの数学者にして海軍の軍人、グレース・ホッパーだ。

■ 「機械が人間の言葉を学べばいい」——ある翻訳者の反乱

1950年代、コンピュータと会話するには、0と1が延々と並ぶ機械語か、それに近い暗号のような記号を打ち込むしかなかった。当時の常識では、「コンピュータを使う」とは「人間が機械の言葉を必死で覚える」ことと同じだった。機械オンチという言葉が生まれる土壌が、ここにある。

ホッパーは、その常識をまるごとひっくり返した。彼女はこう考えた。「なぜ人間が機械に合わせるの? 機械が人間の言葉に合わせればいいじゃない」。そして1952年、彼女は「コンパイラ」というものを作る。ひとことで言えば、人間が書いた分かりやすい言葉を、機械が理解できる0と1の言葉へ自動で翻訳してくれる仕組みだ。外国語のメニューを、店員さんがその場で日本語に訳してくれる——あの親切を、機械の中に埋め込んだと思えばいい。

当時、この発想はまともに相手にされなかった。「コンピュータに計算はできても、翻訳などという器用な仕事はできるはずがない」。周囲の大半がそう信じていたからだ。それでもホッパーは諦めず、やがて人間が英語に近い言葉で命令を書けるプログラミング言語を広める立役者になる。「コンピュータは、それを作った技術者だけのものではない。使いたい人みんなのものだ」。彼女は生涯、そう言い続けた。

彼女には有名なエピソードがある。「1ナノ秒ってどれくらい?」と聞かれると、彼女は約30センチの電線を一本、相手に手渡した。光が1ナノ秒のあいだに進む距離が、ちょうどそれくらいだからだ。目に見えない「10億分の1秒」を、手のひらに乗る長さに変えてしまう。難しいものを、誰の手にも届く身近なものへ翻訳する。それがホッパーという人の、生き方そのものだった。

■ 70年遅れで叶いはじめた、彼女の夢

そして今、僕らはようやく、彼女が思い描いた景色の入り口に立っている。生成AIに向かって、僕らはもう記号を打ち込まない。「来週の旅行、三泊で予算はこれくらい、子ども連れで」——そう、ふだんの言葉で話しかけるだけでいい。機械が人間の言葉を学ぶ、というホッパーの反乱は、70年の時を経て、いまスマホの中で静かに実現しつつある。

かつて「専門家だけの部屋」だったコンピュータの扉が、日常の話し言葉という合鍵で、誰にでも開くようになった。プログラミングを知らなくても、英語が得意でなくても、「伝えたいこと」さえあれば機械と組める。資料の下書き、旅行の計画、慣れない書類の書き方。これまで「詳しい人」に頼むしかなかったことを、自分の言葉で、自分のペースで進められる。ホッパーが本当に翻訳したかったのは、機械語ではなく、「これは自分には関係ない」という僕らの思い込みのほうだったのかもしれない。

面白いのは、この変化が「機械が賢くなった」だけの話ではない、ということだ。むしろ機械が、人間のあいまいで回りくどい話し方を、ようやく我慢して聞いてくれるようになった、と言うほうが近い。歩み寄ったのは、人間ではなく機械のほうなのだ。ホッパーが70年前に引いた矢印の向き——人間へ、人間へと合わせにいく向き——が、いまはっきりと現実になりつつある。

もちろん、影はある。あまりに滑らかに話が通じると、僕らは中身の仕組みを気にしなくなる。翻訳が上手すぎる通訳に頼りきって、自分では一言も外国語を覚えないように。便利さは、時に「分かった気」という薄い膜を張る。機械が差し出す答えを、確かめもせずそのまま受け取ってしまう危うさも、確かにそこにある。その膜の存在は、覚えておいたほうがいい。ホッパー自身、口ぐせのようにこう言っていた。「いちばん危険な言葉は、”いつもこうしてきたから”よ」。便利さに慣れたときこそ、その言葉を思い出したい。

■ 「機械オンチ」が、死語になる日

それでも僕は、この先を明るいほうへ賭けたい。考えてみてほしい。「機械オンチ」という言葉は、「機械に合わせられる人」と「合わせられない人」を分ける線が引かれていた時代の、その線があるからこそ生まれた言葉だ。線が消えれば、言葉も静かに役目を終える。「方向音痴」という言葉が、いつか地図アプリの中で角が丸くなっていったように。

未来のセルフレジの前で、僕らはもう謝らないだろう。うまくいかなければ、機械のほうが「ごめんなさい、もう一度お願いします」と言う。立場は、ようやく正しい向きに戻る。ホッパーが70年前に手渡した30センチの電線は、いまも僕らの手のひらに、そっと乗っている気がする。「難しそうなものは、誰かがきっと、あなたの言葉に訳してくれる」。その一言を信じていい未来が、もう始まっている。

だから、次にどこかで「機械オンチで、すみません」と言いそうになったら、少しだけ言い換えてみたい。「うまく話が通じてないみたいだね」と。悪いのは、あなたではない。そしてその小さな橋を、いま僕らは、みんなで架けている最中なのだ。

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