会議室で、僕はあくびをかみ殺す。口の端が裂けそうになるのを、奥歯で必死に押さえる。もしバレたら「退屈しています」という無言のプラカードを掲げたことになるからだ。人類は不思議な生き物で、心臓の鼓動やまばたきは恥じないのに、あくびだけは謝る。「すみません、寝不足で」と、まるで小さな罪の告白のように。握手やお辞儀の作法を何千年もかけて磨いてきた僕らは、なぜかこの原始的な口の開閉にだけ、勝手に「失礼」というレッテルを貼り続けている。
でも、考えてみれば奇妙な話だ。僕らは自分の意志ではまったく止められない生理現象に、後づけで意味を上塗りしている。しかもこのあくび、部屋の中を無線LANのように伝わっていく。誰かが一つあくびをすると、隣の人が、その向かいの人が、次々と口を開ける。今この文章に「あくび」と何度も書いているせいで、あなたも一度、あごがむずむずしたのではないだろうか。だとしたら、それは失礼でも眠気でもなく、あなたの脳がとても正直に働いている、という証拠だ。
■ 赤ちゃんは、生まれる前からあくびをしている
長いあいだ、あくびは「酸素が足りないから」「退屈だから」の合図だと信じられてきた。古代ギリシャの医師ヒポクラテスでさえ、あくびは体から悪い空気を追い出す働きだと考えていたという。ところが、この二千年来の常識は、いくつかの発見であっさり覆される。
まず、母親のお腹の中の胎児は、妊娠11週目にはもうあくびをしている。超音波の映像にはっきりと写る。まだ光も見ず、退屈という言葉も知らない胎児が、なぜあくびをするのか。退屈が理由なら、これは説明がつかない。酸素説も怪しい。わざと酸素の薄い空気を吸わせても、あくびの回数は増えなかった、という実験結果がある。
では、あくびは何のためにあるのか。近年、有力視されているのが「脳を冷やすため」という説だ。アメリカの心理学者アンドリュー・ギャラップは、あくびを一種の”ラジエーター”として捉えた。大きく息を吸い、あごの筋肉をぐいと動かすと、頭部を流れる血液のめぐりが変わり、熱を持った脳を冷やす——ノートパソコンが熱くなるとファンが回りだすのと、驚くほど似た仕組みだ。実際、額を冷やすとあくびが減り、逆に頭を温めると増える、という報告もある。犬も、猫も、鳥も、魚さえもあくびに似た動きをする。脳を持つ生き物にとって、これは種を越えた古い知恵——「サボりのサイン」どころか、脳を最適な温度に保とうとする、けなげなメンテナンス作業だったのだ。
■ 「うつる」ことにこそ、意味があった
もう一つの謎が、伝染だ。脳を冷やすだけなら、自分一人でこっそりやればいい。なぜ、わざわざ隣の人にまで広がるのか。
ここで登場するのが「共感」というキーワードだ。他人のあくびがうつりやすい人ほど、他人の気持ちを想像する力が高い、という傾向が複数の研究で示されている。相手の表情や仕草を、自分の脳が鏡のようになぞってしまう——この”うつす回路”は、僕らが他人を理解し、群れとして息を合わせるための、太古からの仕組みらしい。興味深いことに、あくびの伝染は生まれつきではない。子どもがつられてあくびをするようになるのは、だいたい4〜5歳、ちょうど他人の心を思いやる力が芽生える時期と重なる。
面白いことに、あくびは犬にもうつる。飼い主があくびをすると、そばの犬もつられてあくびをすることがある。しかも、見知らぬ人よりも飼い主のあくびのほうがうつりやすい。数万年をかけて人と暮らしてきた犬は、種の壁を越えて、僕らの”うつす回路”にそっとつながってしまった。かつて群れで眠り、群れで見張りをした動物たちにとって、あくびの伝染は「そろそろ休もう」「そろそろ起きよう」と全員の体内時計をそっと合わせる号令だったのかもしれない。あくびとは、言葉のいらない、いちばん静かな相槌なのだ。
■ 画面の前で、僕らはあくびを分け合わなくなった
ここで少し立ち止まりたい。かつて人類は、同じ焚き火を囲み、同じ夜を過ごしていた。誰かのあくびは、暗闇のなかを波のように広がり、「そろそろ休もう」という合図として村じゅうに伝わっていった。あくびは、共同体が眠りと目覚めのリズムをそろえるための、いちばん素朴な放送だったのだ。
ところが今、電車の中を見渡せば、みんな別々の画面に顔をうずめている。僕らはマスクの下で、スマホの光の陰で、こっそり一人であくびをする。うつすはずだったあの静かな相槌は、行き場を失って、僕らの口の中で消えていく。数万年ぶりに、あくびが伝染しにくい時代がやってきた——そう言ってもいいのかもしれない。
■ AIは、僕らのあくびをうつせるか
いま、AIは人間の感情を読む練習をしている。声のふるえ、返信の速さ、言葉の選び方から、相手が疲れているのか、喜んでいるのかを推し量ろうとする。これは、あくびがずっとしてきたこと——他人の状態を感じ取り、そっと同期する——の、デジタル版だと言っていい。何十万年ものあいだ体ひとつで担ってきた「察する」という営みを、僕らはいま、機械にも少しずつ教えようとしているわけだ。
もちろん影もある。AIは僕らのあくびを”検出”はできても、自分の頭が熱くて眠いから釣られる、というわけではない。共感するふりと、本当につられてしまうことのあいだには、まだ深い川がある。画面越しの世界で、僕らが一人きりであくびをする時間が増えているのも、少し寂しい事実だ。
けれど、僕はここで悲観しない。あくびがうつるという、あの小さな、止められない現象こそが、人間の初期設定を教えてくれるからだ。僕らは放っておくと、隣の人と息を合わせてしまう。理解しようとするだけで、体が勝手に同調してしまう。つながることは、努力目標ではなく、僕らにあらかじめ備わった標準装備なのだ。
AIが人間の状態をどれだけ精密に読み取れるようになっても、その先で目指すのはきっと、僕らを孤立させることではなく、離れた誰かと”息を合わせ直す”手伝いをすることだろう。夜ふかしのあなたと、地球の裏側で朝を迎える誰かを、AIがそっとつなぐ日。そのとき交わされる最初の挨拶は、案外、画面の向こうからうつってしまう一つのあくびなのかもしれない。だから次にあくびが出たら、どうか噛み殺さないでほしい。それはあなたの脳が今日もちゃんと働いている証拠であり、誰かとつながる準備ができている、という小さな合図なのだから。
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