「愛は、人類を滅ぼす」——いちばん美しい感情に隠れた設計ミスと、それを書き直す僕らの番

■ その「愛」には、いつも”圏外”がある

告白しよう。僕らは「愛」という言葉を、疑うことをほとんど許されないまま生きている。家族愛は尊く、仲間との絆は熱く、母校や故郷への思いは涙腺をゆるませる。バレンタインからスポーツの応援、推し活まで、社会は愛の賛美でできている。誰かが「愛は素晴らしい」と言えば、その場の全員がうなずくしかない。

でも、ほんの少しだけ意地悪な視点で眺めてみてほしい。運動会の赤組が本気で燃えるのは、そこに白組がいるからだ。応援が熱くなるほど、相手チームは「倒すべき何か」になる。推し活だって、推しへの愛が深いほど、なぜか”別のグループのファン”との間に見えない線が引かれていく。僕らが胸を張って「美しい」と呼ぶ仲間意識や愛国心は、たいてい、その裏側に「こちら側ではない誰か」——つまり”圏外”の存在をこっそり抱えている。

考えてみれば奇妙な話だ。愛という、いちばん温かいはずの感情が、いちばんくっきりと「内と外」を仕分けてしまう。人を強く抱きしめる腕は、その外側にいる誰かに対しては、背を向ける形にもなる。愛は、いつも小さな国境線を引きながら灯る。ここに、人類最古のバグが眠っている。そして僕は、このバグを憎むためではなく、いとおしむために、今日この話を書いている。

■ ハチとアリが5億年前に解いた、意地悪な計算問題

なぜ愛はこんな形になったのか。半世紀ほど前、ウィリアム・ハミルトンという生物学者が、ちょっと身も蓋もない計算式を持ち出した。生き物が誰かのために自分を犠牲にするのは、その相手が自分と同じ遺伝子を分け持っているときだ、という「血縁選択」の考え方だ。難しく聞こえるが、要は「他人のためにどこまで頑張れるかは、血のつながりの近さで割引される」という、そろばんのような話である。

想像してほしいのは、ワリカンの飲み会だ。全員が気前よく多めに払えば会は豊かになる。けれど、こっそり少なく払う「タダ乗り」がひとりいると、正直者はどんどん損をして、やがて誰も気前よく払わなくなる。無差別に誰でも愛する「聖人モード」は、進化のゲームでは、このタダ乗りに食い荒らされて生き残れなかった。かわいそうだが、心の広さだけでは、自然界のそろばんに勝てなかったのだ。

そこで自然が見つけた”勝ち筋”が、ハチやアリの世界だ。彼らは巣の仲間のために命さえ捨てる、究極の愛の共同体をつくった。ただしその愛は、「巣の外」への徹底した警戒とセットだった。内側を強く愛するほど、外側は敵になる。仲間への愛と、よそ者への牙は、同じコインの裏表として磨かれてきた。僕らが「高尚だ」と感じる結束の多くは、実は「敵をつくること」でしか点火できない、古いエンジンの副産物なのだ。

■ 「敵が必要な愛」は、狭い星では自爆する

ここまでは、うまくいっていた。人類は「愛する範囲」を家族から村へ、国へと広げることで、協力の規模を拡大し、文明を築いた。愛は間違いなく、僕らをここまで運んでくれた主役だ。

問題は、舞台のサイズが変わってしまったことにある。核兵器も、地球規模の気候変動も、AIも、国境や集団の境界線をあっさり無視する。かつては「内側を守るための愛」が外の集団との勝負を意味しただけだったのに、すべてが一本の糸でつながった今の世界では、「こちらを守るための一撃」が全員の破滅に直結しかねない。外に敵を必要とする古い愛のOSを積んだままでは、地球規模の問題は原理的に解けない——ここだけを見れば、たしかに「愛は人類を滅ぼす」と言いたくなる。

正直に、影も認めておこう。今この瞬間も、SNSのアルゴリズムは「共通の敵」を差し出すのが得意だ。怒りと結束はいちばん拡散する感情だから、僕らは知らないうちに、内と外を分ける古いエンジンを毎日温め直させられている。

■ 愛のOSを、書き換える番が来た

けれど、ここで物語を暗い方へ着地させるのは、あまりに退屈だ。思い出してほしい。愛が「敵を必要とする形」になったのは、それが5億年前の計算問題への”当時のベストな答え”だったからにすぎない。答えは、問題の条件が変われば書き換えていい。そして今、条件を変える道具が、はじめて僕らの手のなかにある。

翻訳AIは、言葉の壁という古い国境線を溶かし始めた。かつて「外国人」だった相手の投稿が、僕の母語で、その人の体温のまま届く。地球の裏側で暮らす誰かの、子どもを寝かしつけたあとの何気ないつぶやきが、まるで隣人の声のように読める。異なる文化のあいだに立って、対立ではなく共通点を見つける手伝いを、機械が静かにやってのける時代だ。血縁や国籍という「割引率」の外にいた相手を、割引なしで想像できる道具が、はじめて僕らの手のなかにある。愛の射程を、テクノロジーが物理的に押し広げようとしている。

進化生物学には、もうひとつ希望の続きがある。政治学者のロバート・アクセルロッドは、コンピュータ同士を何度も対戦させる有名な実験で、意外な勝者を見つけた。それは複雑な策略でも、冷徹な裏切りでもなく、「しっぺ返し」という拍子抜けするほど単純なルールだった。最初は親切に手を差し出す。相手が裏切ったら、同じだけ返す。でも相手が態度を戻せば、こちらもすぐ水に流す——ただそれだけ。この”お人好しだけど、なめられはしない”戦略が、血縁も、敵味方の区別も必要とせずに、赤の他人どうしの協力を育てられることを、数式は淡々と証明してみせた。

つまり「敵がいなくても、愛は成立する」という設計図は、きれいごとの空想ではなく、進化のルールブックの中にちゃんと書き込める。5億年前には条件が合わずに採用されなかっただけの草案が、今、日の目を見ようとしている。

僕らは今、ホモ・サピエンスという種の、古い愛のプログラムの最終行に立っている。次に書き込むのは、「圏外」を持たない愛——境界線の向こう側を、倒すべき誰かではなく、まだ会っていない仲間として見る愛だ。それは道徳の説教ではなく、道具と知恵に支えられた、次の進化のひと筆になる。

愛は人類を滅ぼすのか。いや。滅ぼしかけたその同じ愛を、今度は”敵のいらない形”へ書き直せる場所に、僕らはようやくたどり着いた。バグは、直すとわかった瞬間から、ただの伸びしろに変わる。今夜、誰かを大切に思うその気持ちの外側に、ほんの少しだけ想像の余白を残しておく——それだけで、僕らは古いコードの次の一行を書き始めている。未来が現実になるのは、いつも、そんな静かな一筆からなのだ。

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