私たちが毎日使うスマホもAIも、先人の知恵という“土台”の上に立っている。ところが、その土台にかかるルールは明治時代の設計のまま。著作権の国際ルール「ベルヌ条約」は1886年生まれだ。コピーが高価だった時代には合理的でも、機械が読み、学び、組み合わせる今の世界では、知の流れにブレーキをかける場面が増えている。守るために閉じるのではなく、育てるために開く。発想をそこに切り替えよう。
まず、ベルヌ条約は「創作したら自動で守られる」「国境を越えて同じように扱う」という“優しい”仕組みから始まった。問題は、その後に延びに延びた保護期間と、デジタル鍵(DRM)や契約で例外まで潰してしまう運用だ。多くの作品は公開から数年で収益のピークを迎える。それでも権利は作者の死後70年まで続き、再利用したい人は延々と許可取りに追われる。結果、使われないまま誰のものかも分からない孤児作品が積み上がり、図書館や研究の現場は肩身が狭い。AIの学習も、グレーゾーンに押し込められ、勝者総取りの“囲い込み”が進む。
ここで提案したいのは、時間が経つほど自然に開いていく「段階的コモンズ」という考え方だ。新作を出した最初の数年は、作者がしっかり回収できるように独占を守る。その次の数年は、派生や分析の利用を合理的な対価で広く許し、検索や要約のような“元の表現を置き換えない使い方”は基本OKにする。十年ほど経ったら、出典を示せば誰でも自由に使える状態へ移し、十五年で完全にパブリックドメインに入れる。もし本当に長く稼げる稀な作品なら、ワンクリックで短い延長を選べばいい。更新の意思が示されなければ自動的に開く――それだけで孤児作品は激減し、誰もが作品の現在地を機械的に確かめられる。
AI時代の要は「計算する権利」だ。人が本を読んで理解を深めるのと同じで、AIが大量の文章や画像からパターンを学ぶのは“読む・勉強する”に近い。ここを法的に安定させ、公開情報に対するテキスト・データマイニングやモデルの学習を、国境を越えて認めよう。ただし、元の作品の代わりとして出回る“そっくり表現”には歯止めをかけ、声や画風の模倣など市場を食う領域には補償と明確な表示を求める。学ぶ自由と、表現の市場は切り分ける。それがフェアだ。
デジタル鍵についても、発想を逆転させたい。鍵そのものを否定しないが、法律で認められた例外利用――保存、アクセシビリティ、研究やTDM――を物理的に通せない鍵は、もはや時代遅れだ。救急車が通るための非常口のように、正当な利用のための“例外ゲート”を技術として標準装備させる。ログは残し、濫用は罰する。法が鍵に従うのではなく、鍵が法に従う。それが本筋だ。
そして、お金だけが創作者の報酬ではないことも、そろそろ制度に反映しよう。引用や二次創作、学習に使われた履歴を可視化して、誰の作品がどれだけ“次の創作の種”になったかを見える化する。これを仮にCredScoreと呼ぶ。検索順位や助成、採用、賞の評価にこの信用が効くようにすれば、初期の収益は短期の独占で、長期の評価は信用の積み上げで――という、より健全な動機づけに近づく。
よくある心配は三つだ。まず「映画やゲームのようにお金がかかるものは長期独占が必要だ」という声。実際のところ収益の大部分は最初の十年に集中する。初期の独占と、後半の合理的な許諾で十分回る。二つ目は「方式(更新手続き)が弱者を苦しめる」という懸念。最初の数年は何もしなくていいし、以後も通知に従って一回ポチッとするだけ。むしろ権利の所在が明確になり、使いたい人も困らない。三つ目は「AIが学べば市場が食われる」という恐れ。学習という非表現の行為と、作品の代替につながる表現を厳密に分け、代替が起きうる分野だけに補償と表示義務を課せば整理できる。
実装は思ったより簡単だ。まずは各国で試験的に導入して、公共研究の成果から段階的コモンズに流し込む。同時に、権利情報を検索エンジンの“通行標識”のように機械可読で埋め込む。作品のハッシュをキーに、誰でも参照できる公開レジストリを用意すれば、迷子の作品は激減する。数年運用すれば、出版や再利用、研究の被引用、スタートアップの誕生数、教育コストなど、効果は数字で見えてくるはずだ。
結局のところ、私たちが守りたいのは作品そのものだけではない。未来の創作と発明の芽だ。先人の知恵がパブリックドメインにあるから、私たちはここまで来られた。ならば私たちの世代の作品も、適切な時期に次の世代へ渡すべきだ。コピーのコストがほぼゼロの時代に、本当に希少なのは新しい洞察と、それに到達するスピードである。ベルヌ条約をAI世紀の常識に合わせ、「閉じて守る」から「開いて育てる」へ。140年目の総点検は、文化を強くし、研究を加速し、社会全体の知能を底上げするためのリセットボタンだ。そう腹をくくろう。

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