東京・杉並区のスーパーで、買い物帰りの主婦がため息をついた。「5キロで4000円って、いつからお米はぜいたく品になったんでしょうね」。2025年春、全国の店頭で聞こえた小さなつぶやきが、やがて大きな疑問へと広がった。――政府の統計では260万トンもの在庫があるのに、どうして「米がない」と騒がれるのか? 本稿では、令和の米騒動を招いた“見えない配管”をたどりながら、この国の主食の未来図を考えてみたい。
米は本当に足りないのか?
数字の上では、日本は慢性的なカロリーベース自給率38%の国だが、ことコメに限れば自給率はほぼ100%。さらに民間倉庫には、主食用だけで3か月分を優に超える在庫が眠っている。倉庫のシャッターを開ければ、フレコンバッグが天井まで積み上がり、コンベアが低い唸りを上げる――“米不足”を実感できる光景ではない。
それでも価格が跳ね上がったのは、需給のタコツボ化が原因だ。倉庫から食卓までの間には、農協(JA)、政府備蓄、卸売、量販店という幾重ものチェックバルブがあり、そのどれかが詰まれば、消費者の蛇口はあっという間に細くなる。2024年の猛暑による品質低下と、コロナ禍明けのインバウンド需要増が“詰まり”に拍車をかけたのは確かだが、最大のボトルネックは人為的な“出荷調整”だった。
誰がバルブをひねっているのか
JA――価格維持という「善意の罠」
JAグループは全国に散らばる集荷拠点でもあり、農家の財布でもある。農家に前払いする「概算金」を守るには米価が下落しないことが大前提だ。彼らは価格が上がりそうな局面で出荷を絞り、倉庫で寝かせる“溜め米”を常套手段としてきた。結果、在庫はあっても市場には流れない。2010年代までは需給ギャップが小さく目立たなかったが、24年産米で一挙に噴出した。
倉庫業者――眠る米ほど儲かる
政府備蓄米は平時100万トンが目安。これを預かる倉庫会社には、保管料として毎年およそ100億円の税金が支払われる。備蓄期間中の米は「動かず・減らず・劣化せず」が理想だから、入庫が多いほど、そして長いほど彼らの収益は膨らむ。倉庫の経営幹部には農水省OBが並び、天下りの温床と揶揄されるゆえんだ。
大手卸――転売差益のハイシーズン
集荷が滞ると、卸売会社は不足地域に向けてスポット取引を拡大する。1俵(60キロ)あたり千円の差益でも、200万トン動けば200億円。シェアトップの神明ホールディングスは、24年度決算で米部門の営業利益率が跳ね上がったと報じられた。
政治――“票田”と補助金の蜜月
農協の政治団体「全国農政連」は、半世紀以上にわたり自民党候補を組織的に支援し、農林族議員を国会へ送り込んできた。農家票と補助金は交換可能なチップのように循環し、政策が彼らの声を最優先で拾い上げるシステムを作り上げた。飼料用米への高額交付金(10アールあたり10万5千円)もその産物である。
備蓄米放出――「保険」が裏目に
騒動を受けて政府は備蓄米21万トンを市場放出した。だが効果は薄かった。理由は単純で、農協がその分を売り控えれば市場に流れる量は増えないからだ。旧米の味を嫌う外食産業や消費者の嗜好も逆風だった。こうして“保険”は需給を緩めるどころか、倉庫と農協を利する“延命装置”と化した。
私たちにできること、政治がすべきこと
日本が抱えるコメのリスクは自然災害ではなく、“情報の不透明さ”と“インセンティブのねじれ”にある。バルブを再設計する手順はいくつか考えられる。
まず、倉庫と流通の在庫をブロックチェーンでリアルタイム公開し、誰がどこで止めているのかを可視化しよう。次に、飼料用米の交付金を需給指数連動型に改め、供給過剰なら自動で減額する仕組みを導入する。備蓄米の放出も「価格連動」ではなく「消費者物価連動」に切り替え、店頭価格が一定ラインを超えたら自動で市場に放出されるようにすれば、人為的な売り渋りの余地は減る。
最後に、農家が直販やオンラインマルシェを通じて都市部と直接つながるルートを太くすること。複線化された流通網は価格のショックアブソーバーになる。米は本来、贈答にも備蓄にも向く国産の優等生だ。令和の米騒動を“百年に一度の警告灯”ととらえ、透明でしなやかなパイプを作り直す――それが、この国の主食を未来へつなぐ最善策である。

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