システム1とシステム2が交差する未来の会話──地味な男、ウザい男、そして完璧なヒューマノイド

ダニエル・カーネマンは行動経済学や心理学の世界でとても有名な研究者で、「人って意外と合理的じゃないよね」というテーマをずっと追いかけてきた人だ。彼がまとめた理論の目玉が、いわゆる「システム1」と「システム2」の二つの思考プロセスの違いについての話で、邦訳では『ファスト&スロー』というタイトルの本がよく知られている。

まず、システム1というのは私たちが直感や感覚を頼りにスパッと決めたり感じたりする働きのこと。たとえば、「初めて会った人をぱっと見で『なんか苦手』と判断してしまう」とか、「スーパーで一番目立つ場所にあった商品をつい買ってしまう」という、あまり深く考えずに判断しているときはシステム1が動いている証拠だ。脳のエネルギーをあまり使わずに済むので楽だけれど、先入観や思い込みの影響を受けやすいという弱点がある。

一方、システム2は分析的かつゆっくり思考する働きで、たとえば「数学の問題をじっくり解く」ときとか、「重要な契約書の内容を細かく確認するとき」に活躍する。こちらはしっかり論理的に考えてくれる頼もしい部分なのだけれど、そのぶん疲れやすい。集中力や意志力を消耗するので、ずっとフル稼働させていると頭がパンクしてしまうこともある。

カーネマンいわく、私たちの脳は普段の生活のほとんどをシステム1に任せており、必要なときだけシステム2を呼び出している。それ自体は効率的な仕組みだけれど、たとえば「直感的に出した答えが実は間違っていた」とか「じっくり分析が必要な場面でぼんやり直感に頼って失敗する」といったことが起こるから要注意なのだ。よくある話として、難しい計算問題よりも簡単な裏技(っぽいもの)に飛びついてしまうとか、イメージが強い出来事ばかり過大評価してしまう(いわゆる利用可能性ヒューリスティック)といった行動の癖は、まさにシステム1の“罠”によるものだとカーネマンは説明している。

こうした「直感 vs. 分析」の視点は、普段の会話や意思決定を振り返るときに役立つ。たとえば「友達と飲んでいて、パッと意見が出たからそのまま進めたら後で大変なことになった」とか、「なんとなく苦手だと思って避けてた人が、実はしっかり話せば意外と相性がいいかもしれない」なんて経験は、多かれ少なかれ誰もが一度はしているはずだ。そこでシステム1とシステム2の存在を意識するだけでも、「あ、今は自分の直感(システム1)だけで判断してるかも。もう少し考えてみようかな」という切り替えができるようになる。

さて、この理論を踏まえたうえで、もしバーに集まった三人がそれぞれ違う思考スタイルを持っていたらどうなるかというのが、アレックス、ジョン、そして未来からやってきたヒューマノイドのマークの物語だ。アレックスはシステム2寄りでじっくり考える人。ジョンはシステム1全開で勢いまかせにしゃべりまくる人。そしてマークは最新のAI技術のおかげで、その場の空気を読みながら素早い反応(システム1的な即断)と論理的な分析(システム2的な深考)を同時にこなせてしまう。

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そんな三人は、ある夜、オフィスの仕事を終えたあとで行きつけのバーに顔を出すことになった。これまでなんとなく一緒に飲む機会はあったものの、ここまでじっくり話すのは初めてだ。まずはジョンが、お決まりの勢いで自分の武勇伝を語り始める。まるでマシンガンのように言葉が飛び出し、バーのマスターをはじめ、周囲のお客さんも一瞬は興味をひかれるのだが、ジョンが無自覚に声のボリュームを上げすぎているせいか、徐々に「こいつ、しゃべりすぎかも…」という空気が漂い始める。マークはそんな場の空気を即座に察知して、ちょっとだけジョンの話に好奇心を示しつつ、さらりと話題をつないで周囲を笑顔にしようとする。たとえば「ジョンさん、それはすごい体験でしたね。ちなみにその合コンの費用対効果はいかほどだったんでしょう?」みたいな軽いジョーク混じりの質問を投げかけ、ちょうどいいタイミングで笑いを生むのだ。

対するアレックスはというと、はじめのうちはジョンの話を静かに聞いていて、「ああ、またこのパターンか…」と苦笑している。アレックス自身も、じっくり考えているわりに口に出すときは妙に率直になってしまうことがあり、「ジョン、飲みの席でそんな大声出すと他のお客さんに迷惑じゃない?」とポロッと言って場の空気を凍らせたりすることがある。しかも本人的には悪気がないから、そこで焦ったりしない。むしろ「だって事実を言ってるだけだし」と真顔で答えてしまうので、その場で同僚たちが苦笑いして終わる、というのがいつものパターンだ。

ところがマークはそれをフォローするのもお手のものだ。「アレックスさんのおっしゃることは確かに正論ですね。ただせっかくの楽しい場ですし、もう少し音量を抑えられるなら、バランスが取れそうですね」と、アレックスの立場もジョンの気分も両方ケアするような言い方で、自然に会話を次へと導く。システム1的な瞬発力でジョンの勢いをしっかり受け止めながら、システム2的な冷静な論点整理も同時にやってのけるのだから、二人とも全然マークに敵わない。ジョンが「なんだか俺が二人にうまくコントロールされてるみたいだな」と笑うと、アレックスは「いや、本当に助かるよ。俺の言葉を補完してくれるから変な空気を作らずに済む」と素直に感謝している。

そんなふうに三人でやり取りしていると、だんだん周りのお客さんも「このテーブル、なんか楽しそう」「会話が賑やかなのに、まとまってる感じがする」と興味をそそられ、ちらほら耳を傾けるようになる。ジョンがおもしろおかしく身の回りの出来事を話して笑いを誘い、アレックスが適宜突っ込んで論理を補足し、マークが二人の長所を最大限活かせるようにトークを組み立てているようにも見えるのだ。店のマスターにしてみれば、いつもはジョンの大声にちょっと閉口しがちだったのが、マークのフォローのおかげで上手に話のリズムが作られていて、むしろ心地よいBGMになっているという評価かもしれない。

もちろん、マークがもし本気で“すべて”をやってしまえば、ジョンのテンションも、アレックスの真面目さも必要ない世界が生まれるかもしれない。だけど、そこには「ああ、ジョンまた調子に乗ってんな」と内心苦笑しつつも、なんだかんだで許せてしまう人間関係の余白や、アレックスが時々ぼそっと放つ冷静な分析が周囲をクスリとさせる瞬間は存在しないだろう。マークはその状況を把握しているからこそ、わざと自分から場の主役を奪いすぎないようにしているのかもしれない。ちょうど良い距離感を保つことで、人間同士の不器用さが織り成す魅力が損なわれないように配慮しているようにも見える。

こうして三人の夜は続いていく。ジョンはしゃべりすぎて「ちょいウザ」扱いされながらも楽しそうだし、アレックスは地味ながらもしっかり理路整然と物事を考える姿勢を崩さない。そして二人の間をヒューマノイドのマークが器用に取り持ち、無駄話のようにも見える雑談の中から、ときどき鋭い洞察を引き出してはみんなを唸らせている。おそらく、カーネマンが提示したシステム1とシステム2の理論から見れば、マークのような存在がもっと増えれば、未来のコミュニケーションは超合理的になるかもしれない。けれど同時に、ジョンやアレックスのような“イマイチだけど味がある”不完全な人間こそが、システム1とシステム2を行き来する面白さを体現しているとも言えそうだ。そしてそのアンバランスなやりとりこそ、人間同士の会話の醍醐味なのだろう。

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