「欲しいものが何でも手に入る」時代は本当に来るのか?

「いつかはSFみたいに、欲しいものが何でも手に入る世界になるんじゃないか」。そんな空想話を耳にしたことはありませんか? 実は、その世界への一歩は、すでに私たちの足元で始まっています。

いま、デジタルコンテンツは実質無料、国際電話はほぼタダ、3DプリンターとAIによる超効率な生産技術が進歩すれば、あらゆるモノが「ただ同然」で得られる可能性が高まっています。エネルギーが潤沢で、食料すら合成できる時代が訪れたら、一体何が起きるのでしょうか?

資本主義の根幹を揺るがす「脱希少性」

資本主義の前提は「希少性」。限られた資源をどう分配し、利益を上げるかがポイントです。しかし、3Dプリンターで何でも作れる、エネルギーは安価で無尽蔵、希少な食材も化学的に合成可能になったら「高級品」と「安物」の区別は消え、価格そのものの意味が薄れてしまいます。

この「欲しい時に欲しいだけ得られる」状態を「脱希少性」と呼べば、もうお金を稼ぐ必要はどこまで残るでしょう? お金は将来不足しそうなものを確保するためのツールでした。不足がないなら、資産を蓄える意味もなくなっていきます。

金融商品はどうなる?

投資、株式、保険、先物取引……これら金融商品は、「将来の不確実性」や「資源が限られている」前提で成り立っています。ところが、脱希少性社会では、不足や価格変動そのものが希薄化。企業価値は価格競争で生まれず、土地や資源で保証する財産も不要。AI取引により相場は均衡し、金融システムは根幹から崩れ、資本増殖という概念が意味を失います。

土地の希少性すら揺らぐ

「でも、土地は増やせないでしょう?」そう思う方もいるかもしれません。しかし、高度な技術で海上都市や空中都市を造れれば、空間はいくらでも立体的に拡張可能です。宇宙進出まで視野に入れれば、地球上の土地面積に囚われる必要はなくなります。さらに、VRやメタバースなどバーチャル空間で新たな「場」を自由に生み出せば、人々が物理的土地に固執する理由も薄れます。現実の都市部に住む意味や必要性も相対的に低下し、「限られた土地を奪い合う」発想自体が時代遅れになるかもしれません。

新たな軸:「信用」や「創造性」

物理的な希少性が消えると、人々が求める価値は「所有物」から「創造性」や「他者との信頼関係」へと移行すると考えられます。「信用主義(credism)」という考え方は、まさにその新しい価値基盤です。信頼や評判、貢献が重要視され、コミュニティ内で「誰がどれだけ役に立ったか」「どんなユニークなアイデアを提供したか」が評価軸になります。こうした社会では、レアなアイテムや資本を誇ることより、新たな発明や人間関係で自分の価値を示すようになるでしょう。

すでに始まっている「無料化」のうねり

振り返れば、デジタルデータやオンライン通信はすでに無償化の波に乗っています。これが衣食住、エネルギー、空間拡張の領域にまで及べば、資本主義の終焉は単なる理論上の話ではなくなります。

「次の社会」をどう想像するか

もちろん、脱希少性社会がいつ実現するかは分かりません。政治的・技術的な課題や過渡期の混乱もあるでしょう。でも、すでに「無料で得られる」ものが増え、希少性が崩れ始めている今、資本主義に代わる新たな価値基準を模索することは無意味ではありません。

「欲しいものが何でも手に入る」未来は、かつての常識を根こそぎ変えるかもしれない。そこでは、お金を稼ぐ意味も、金融商品の存在意義も、都市部の土地の希少性も、消え去っている可能性があります。私たちはその先で、「信用」や「創造性」という、より人間的で豊かな価値観を軸に生きることになるのかもしれません。

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