AIの進化によって大量のモノやサービスを簡単に生み出せるようになり、私たちが消費しきれないほどの供給が可能になるかもしれない。そこでは価格が大幅に下がる可能性も指摘されているが、本当に社会全体のモノやサービスが「無限」に近い形で作られたとき、いったい私たち人間の暮らしはどう変わるのだろうか。
まず、人々が必要とするモノが潤沢に生産され、しかも安価に手に入るようになる世界が想定される。最初は「すべてが安くなるなんて素晴らしい」と感じるかもしれないが、それによって社会の構造や私たちの役割が大きく変わりそうだ。大量の供給によって需要以上の生産が実現すれば、企業側としては生産を続ける意味を見いだすために、新たな需要を掘り起こすか、あるいは消費に参加してくれる人々をより深く巻き込むしかない。
ここで注目されるのが「パーソナライズ」というキーワードだ。AIが個々人の好みや感情を学習し、日々進化を続けることで、それぞれの消費者に合わせた“特別な”製品やサービスを提案できるようになる。そして一度きりの体験では終わらせず、翌日にはまた別のバージョンを提供する。こうした絶え間ない新鮮さと楽しさが、人間の欲求を満たしながら生産を回し続ける原動力になるというわけだ。いつも目新しい体験が届くなら、飽きてしまう暇もないし、次はどんな提案が来るのだろうとワクワクさせられる。いわば「消費をし続けること」自体が社会を動かすひとつの仕組みになるという見方だ。
ところが、人間の注意力や心理的なキャパシティには限界がある。もしAIによって生み出されるプロダクトが膨大になりすぎると、どれだけ魅力的でも結局は“全部を味わう”ことはできなくなる。あふれる情報やモノの海から何を選び、どんな体験をするかが、これまで以上に重要なテーマになる。それは同時に、「何を基準に選ぶのか」という自分自身の価値観の再確認を迫られる時代でもある。
さらに、AIが人間の代わりに多くの作業を肩代わりしてくれるとき、人々にとっての「自己実現」や「自分の役割」はどこにあるのか、という問題が浮上する。必要なモノはAIが作ってくれるなら、自分の存在意義は何だろう。そこで焦点となるのが「人間がどうやって自尊心や意義を感じるか」という点だ。AIがいくら万能に見えても、人間ならではの判断や倫理観、複雑な感情表現や想像力は依然として重要な意味を持つだろう。むしろAIによる大量生産とパーソナライズが進むほどに、ほんの少しの“人間らしさ”を伴う創造性やコミュニケーションが際立つようになるかもしれない。
社会には「尽きることのない供給」がある一方で、私たちが本当に欲しているのは、他者とのつながり、感情の共有、そして自分の行いが誰かの役に立っているという実感だ。どれほどモノが安く、しかも豊富に得られるようになっても、自分が活躍できる居場所や、自分らしさを認めてもらう環境がなければ、本当の意味での豊かさは感じられないだろう。AIが私たちの生活を便利に、そして豊かにしていくことは間違いないが、最終的に人間の「尊厳」や「承認欲求」を満たしていくのは、やはり人間同士のつながりや、社会が人を必要とする場作りなのではないだろうか。
そうした意味では、AIの存在感がこれからますます大きくなるほど、人間同士が互いを必要とし合うコミュニティの大切さが際立っていくように思える。大量生産とパーソナライズの先に待っているのは、「私たちがどんな役割を担い、どんな物語を描いていくのか」という問いに対する、より深い模索なのかもしれない。モノが行き渡った社会において、人間に残された最後の貴重な資源は「注意力」や「共感」、「創造力」だといわれることもある。膨大な選択肢のなかから、自分の生き方や価値観に合った体験を見つけ出すことが、これまでになく大切になっていくはずだ。
AIが生み出す世界は驚きに満ちている一方で、その驚きをどう受け止め、どういった形で自分たちの人生に活かしていくかは、結局人間自身の選択にかかっているのだろう。生産と消費に追われるばかりではなく、「誰かと一緒に過ごす時間」や「自分なりの創造や学び」に目を向けることで、人間が持つ尊厳やアイデンティティを守りながらAI社会を楽しむ道筋を探っていくことが、これからの鍵になるのではないだろうか。

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